Sさんのこと

mxoxnxixcxa2011-11-21

 不幸の定義ってよく解らないけれど、分からないなりに「これはさすがに不幸だ」ということは起こる。
 ちょっと前に、お酒の好きな知人が酔って家路につく道すがら、タクシーから降りて独居の億ションの入り口手前で転倒し、頭を打って倒れているところを通報されて入院した。そして最近、脳に障害を負って社会復帰ができなくなったと聞いた。
 もういい加減小康状態を取り戻したろうと思い、一体どんな状態なのだろうとあれこれ想像しながら、転院先の病院へお見舞いに行ってきた。小規模な総合病院で、入院患者は老人だらけだった。
 久しぶりに会ったSさんは、吃驚するくらい顔色が悪くて痩せ細っていて、どうしようもなく暗い目をしていた。脳に血がほんの少し溜まっているらしく、相槌や簡単な受け答えはできるけれど、単語や人の名前が出てこなかった。それでSさんは、何故かリハビリテーション科でもなく内科のベッドに転がされて、米もおかずも全てがゲル状の病院食を利き手ではない左手で、ぼんやりした目で不味そうに食べていた。
 Sさんが打ったのは左後頭部。そっか、脳と体は首で左右が交換されるんだったなとか、左脳が言語分野っていうのは本当なんだな。なんて思いながら病院食を一口もらうと、味も歯ごたえも無くて本当に不味かった。
 そこは彼の兄弟が医者をしている病院なので、独身で生活の面倒をみる身内の居ないSさんを、ひとまず転院させたのだと思う。右手に軽い麻痺があるくらいでトイレもフラフラ自分で行くし、失語症なだけで思考力を失ったわけではないし、ちょっと結構やっぱりあんまりスムーズな会話が出来ないだけだ。ただそれ「だけ」。言いたい単語を思い出せずに、動きをピタッと止めて言葉を探しあぐねている時の姿が気の毒だった。そうしてSさんが考えあぐねても、いつも言葉は出てこなくって、私が適当に「○○?△△?」尋ねると、「そうそう、それ」と会話が繋がる。Sさんが負ったのは、あまりに大きなそれ「だけ」だ。
 これは不幸中の幸いと言えるんだろうか。これは不幸中の下の上だろう。Sさんが、そのうち退院できると思っているのが気の毒で、このまま施設に入れられちゃうんだって。なんてことも言えず、どうでもいい話を一方的にずっとしてきた。Sさんがあまりにも楽しそうに、へーとかほーとか、そうかそうかーとか相槌をたくさん打ってくれるので、帰るタイミングがなかなか掴めなかった。Sさん寂しいんだね。そうとは言わずに、また近々来るねーって嘘を吐いて帰ってきた。不味いごはんも残さず食べて、さっさと出てきてよねって、叶うはずないことを笑顔で言ってきた。頻繁に行ける距離でもないし、そんな関係でもない。なかなか20歳以上年の離れた、気軽な飲み仲間ってだけ。お互いのことなんてあまり知らない。
 こんなことになるくらいなら、彼は頭の打ち所をもっと悪くしてそのまま彼岸へ旅立ってしまった方が幸せだっただろうか。口に出しては絶対に言わないけれど、私はそう思う。Sさんは全くの素人の私が見ても、独りで今まで通り暮らしていけるとは思い難かった。バツ2の50代・子ナシ。会社勤めではないし金銭的に余裕のある人とはいえ、もう仕事もできないし自由が利かぬ人生の残りが、あまりに長すぎる。冗談を言い合うことも、議論も思うままの会話も出来ない。知的な人なのに、頭の中にある考えを形にする言葉が思い出せないのだ。そこへきて更に好きなお酒も飲めないし、美味しいものの食べ歩きも出来ないし、独りじゃ海外旅行も出来ない。某国への移住の夢も、たぶん叶わない。
 不幸って一体どういうものなのか、明確な定義もないし極めて曖昧で主観的なものだけれど、けれどやっぱり、不幸としか呼べないものってある。
「エレベーターまで送ってよ」って言うと、Sさんは扉が閉まるまで笑って手を振ってくれた。頼りない病院服の姿が悲しかった。人間は弱い。精神も肉体も脳の回路も、本人の意思を超えてあまりにあっけなく壊れてしまう時もある。