滲んでかすれて汚れて削れて染み込んで剥がれて

mxoxnxixcxa2008-03-04

 崩れていくものが好き。朽ちていくものが好き。圧倒的な時間が染み込んで静かに死んでいくものが好き。物は何にだって終わりがあるから、死んでもなお静かに息をしながら消えていくものであって欲しい。むしろ最初から死んでいて欲しい。人間はそうではいられないから。建物も人形も廃墟写真もコンクリートの壁も知らない人の映った写真も、全部同じ理由で好きなのだと思う。終わってしまうことがないから好き。はじめから死んでいるから。
 屋外のコンクリ壁面が好きで好きで、それも日当たりがいまいちで薄汚れた壁面が好きで好きで困ってしまう。時間とか音とかがしみこんでいるような気がするから、ついぞ見入ってしまう。あの黒く滲んでは流れるしみとか汚れとかがもう、我慢ならんほど好き。フェチなのだと思う。そんな素敵コンクリ壁面を撮って回った画像をコレクションしていて、それを何となく時間があるときに眺めてみるけれど、やっぱりじかに眺めるのが一番好きなんである。けれどもそれでは少しくおかしな奴になってしまうので、自らも紙と墨の力に手を貸してやって、刷毛で撫でたり叩きつけたり流したり吹き重ねたりしてこしらえた素敵なにじみ盛りだくさんの大量のドローイングを、先ほど引っ張り出して一枚ずつ眺めてみた。無彩色って綺麗。なんときれいなテクスチャーなのだろう。ああ素敵大好き。という考えに埋没して、日々諸々の雑事を遥か彼方へ飛ばしてみる。
 たぶん私は離別になれていないのだと思う。さよならこそが人生だというじゃないかと言い聞かせるも、頭がぎゅんとする。ああ何でもいいからイメージスケッチでもして、おうちにいる時間は何か制作でもしようと思う。行為に埋没するのは幸せに違いないよ。
 画像は、以前いったお好み焼き屋の鉄板。暗い店内でフラッシュが邪魔をしてうまいこと撮れなくて残念だったけれど、「なんかきれい」と言うと「ほんとだね」とか「こういうの好きだよね」とかって返す友人がいることが幸せ。飲食店で食べたものを写メるなどには抵抗があるくせに、こっちの角度ならとか何とか言いながら、きゃっきゃ言って撮りました。良い思い出。寂しくなるね。