卒展シーズンに感傷に浸る

mxoxnxixcxa2008-03-07

 たぶん1年前も同じようなことを書いたと思うのですが、2月の京都市美術館は美術系大学の卒展が続いて、私は結構楽しみました。本当は東京に5美大展に行きたかったんだけれども、しょうがないですな。京都では昨年と同様、2月末から3月頭にまたがってやっていた私美大が一番面白かったかなぁという印象でした。
 まず卒展の面白いところは、普段はよほどギャラリーめぐりやコンペ見学や公募展鑑賞が趣味くらいの人でなければ、生で見慣れているのは程度の差こそあれ一定レベルの名を成した、要するに批評家様に画壇様に美術史様に世間様に存在を認定されたプロという、見どころが明確な完成形作家の作品が多いわけなんですけれども、未完成の、今まさにスタートにたった曙光ゆえの勢いや輝きや思い切りや切実さ、未熟さや荒さや詰めの甘さや稚拙さや思い込みの強さなんかが、ぐっとくるんである。じんわりと優しく悲しくこみ上げてくるよ。
 作品の中を歩いていると何か、とてもおごそかな気分。これが別れ道なのだ。みんなそれぞれへと散り散りになっていく。その地に留まる人、どこかへ行く人、もう一生会わないだろう人もいるのだろう。でもそれ以外にぎゅっとくるのは、4年間を通じて見つけたものと、その先の道なのだと思う。学生たちは作家志望、進学、留学、希望ジャンルへ飛び込める人、全く異なるジャンルへの就職など、それぞれに別れて行く。制作系の大学じゃなくてもそうなんだろうけれども。
 この4年間は、ただ単に好きだったことをさらに好きになるか、あきらめてもう嫌になるか、とにかくただ好きではいられなくなる4年間なのだ。本来順位配列とは無縁かもしれないものに配点がなされ、優秀者とそれ以外に分けられ、超えられないものを知ってしまい、努力では得られないものを否が応でも考えざるを得なくなる。自分の限界を自分で引かなければならないときも来る。要するに、深淵を覗き込まなければいけないのだ。深淵に飲み込まれて病んでしまう子も沢山いた。本当は、圧倒的な量の蓄積が質に転化するときが来るのかもしれないけれど、明確な根拠もないまま信じてやり続けるほど強くはなれない人間がほとんどだろうと思う。作家活動を選択し、その後も造り続けることは、結局その一点になるのかもしれないとさえ思う。
 私はこの頃、修士進学が決定していたために色々とヤラしいことも考えていたと思う。院に行くからには、卒展では何かしらどんなに小さくても賞がもらえなければ嘘だと思っていて、小さな賞をひとつもらえたら、今度はもっと何か、もっと何でもいいからと気が気ではなかった。いくつかの作品の足元には、ギャラリストの名刺が置かれていく。スルーされるのかそうじゃないのか。どんなに仲がよくても同コースの友人はライバルでしかなくなるし、そうでなければ嘘。そういうことを思い出しつつ、スタートを切った彼らの第一歩を目撃したんだった。作家になろうと燃える人、趣味でいいと考えた人、もういいやと決めた人。みんな頑張ったのだろう。けれど力量の差は出てしまう。何かとても残酷な場に立ち会っているような気持ちになる。
 学生当時、同じコースに本当にかっこいい油を描く人物が居て、私はその人の絵がすごく好きで、本当に好きで描いているのが分かってとても羨ましく思い、その絵を見てああやっぱり自分は描く側ではなく、観る側だったのだろうと思い知らされたんだった。彼は子供の頃から油彩がすごく好きで、実際10代の頃には結構な賞も貰っていたりして、だからこそなのか、絵画ではないコースで4年間の制作に没頭していた。絵を描きたくなかった私は彼と同じ造形方面で大学時代を過ごして、尊敬する先生はずっと、無理に難しい方に踏み入って苦しんでいるようだといって描けばいいと仰ったけれど、描きたくなかったのだ。それで、色々と考えて結局今の生活にいたるんだけれど。だけど無駄だったとは思わない。
 彼は趣味として油が好きな気持ちを守ったのだと思う。彼は今もまだ描いてるんだろうか。会ってもわざわざ絵の話はしない。彼が描いていなくても、画壇も美術史もなんら影響は受けないんだけれども、私は彼のようには、色を楽しむことが出来なかったっていうだけの話。本当に、どこまでも充実感のある幸せで苦しい4年+2年間だった。愛しい日々。それを思い出しつつ、ああ頑張ろう!と思うためにも、このシーズンは行けるかぎり卒展に足を運ぶんである。
 という感傷に浸っていたら、すごくクソ長くなっちゃったよ!思い入れが空回っちゃってさぁ。