お酒は魔物で

mxoxnxixcxa2006-12-10

 私が9日(土)の夜から、本日の夕食まで、一体いかほどを摂取したのかを整理してみようかなぁと、梅酒を飲みながら。まず土曜。夕食を神戸で、鳥と豆腐料理店にて生ビールとレッドアイと、デザートにマンゴー&ブラッドオレンジのカクテルを楽しんで、ああ、これから一人ぼっちのお部屋に帰るために、一人ぼっちで1時間半はかかる電車移動をするのか、そうして市バスの荒い運転に乗って…まだ9時半なのに。など、そこはかとなく寂しい思いに包まれかけているところへ、大阪の友人からメールが。曰く、今京都だが帰るのが面倒なので、お暇なら明日まで付き合わぬかと。わたし、ひゃっほうと。
 俄然帰路が軽いものに思われてきたので、11時まで時間つぶしているわという友人の下へつらつらとたどり着き、木屋町をふらついて友人の知るバーで5,6杯のんで、モニカルームに帰ってワインをボトル1本と梅酒を数杯のんで、AM8〜12:00まで友人と熟睡して、で、コーヒー飲んで、知っている人が個展の最終日なので、とあるギャラリーへ。
 そうして呑みつつ軽食を取って帰宅。で、梅酒を飲みつつキーボードをパチる今に至るわけで、何ていうか、孤独と不安は乙女にガソリンを注がせますな。 楽しい時間はお金じゃ買えないと思うので、交友費をケチることはしないんですが、先月から諭吉が恐いくらいに流れ出てゆくことに、少々焦りと反省を感じ始めました。「まあ今回はよしておこう」と我慢した画集や写真集の多くが、一度の飲食で買えていたような、という空しいことを考え出して、こんな自分がいや。自分の貧乏がいや。貧乏はイヤだ。人生を楽しみたいという強迫観念に追われ追われて、ああ、なんだかな…。
“人生、金じゃない”というのは、金を持たない層が、躊躇なく金を使い散らせない自分の悲しい現実を認めたくない・受け入れるのが辛いゆえにひねり出した理屈なんだよね。大事な人を失った時や、自分の死後はどうなるのかと思いをはせた時に、どうか死後の生があって欲しいと思って天国や極楽を生み出したことも、生の理不尽や世の不条理に出会った時や、自分は誰にも尊重されていないと身を切るような孤独や痛みを感じたときに、神の概念を発明したのとも同じようなもので。
 酔っ払いたいのに、元来あまり強いほうではないはずなのに、最近とんと浮遊感のうちにうきうき楽しい酔っぱらいにならないのは、何でなんだろう。こんなことしてたら太ってしまう。おうおう