なんだエッシャー展は!

mxoxnxixcxa2006-11-27

 すごい長蛇の列。中に入っても頭頭頭。ねえユーたちはいつだって来れるでしょ、この東京人ども!と悪態を吐きたいのをこらえて眺める。思えば我が家は父母両者ともエッシャー好きで、互いに画集を持って結婚したのか、本棚には画集が2冊。トイレには永遠に巡回する水のポスターがはってあったくらい、一家を上げてのエッシャー好き。私よりも数学的な脳みそを持っていた兄も、エッシャー好きだったなぁと、やや疎遠になった家族のことを考えて胸がぎうと。もなか家はどうしてこんな感じにばらばらに散って…と関係ないことに少しく思いは傾くよ。結局家族って他人なのだ。親ならまだしも、兄弟って。
 で、エッシャー展は総数約180点という見ごたえたっぷり感が溢れすぎて、最後のほうにはやや食傷気味になるくらいの取り揃え。かつて大学で学芸員資格の授業など受けましたが、企画において点数を“しぼる”ということの重要性を説いていた先生は、こういうことを言っていたのだなとおぼろげに考えた。しかしながら、好きな作家のものをこれだけ一挙に観る機会はなかなかないわけで、大変な充実感があった。
 初期の風景版画は初めて観たんだけれど、円熟期に完成するエッシャーワールドの曙光を匂わせるような、面白い構成のものばかり。ここですでにひとつの立場は出来上がっていたのに、ここからさらなる方向転換と進化をするってところがすごいわねと、同行の数学好き大阪人と口々に語り合う。エッシャーにとって、色に頼らない版画という技法はなんだったのかとか、幾何学的構成の魅力についてなんかを理屈っぽくキモく論議しながら、3時間弱かけての鑑賞大会。疲れたよう…。やっぱりエッシャーは天才だと思う。3Dcubeを使ってなにか一枚出来ないことかと試みたことがあるけれど、その時だってつくづく思い知らされたんだった。安易に使いたくない言葉だけれど、天才っている。
 ダリは何度か見たし、これからだって何度もやるのであろうから、ここは取捨選択でエッシャーと国博の仏像大集合でしょうと決めていたのに、エッシャーで身動きを封じられているうちに仏像には到達出来ず。おお…行きたかった…。本当は本当は、森美術館ビル・ヴィオラだって、庭園美術館だって、恵比寿の写真美術館にだって行きたかったんだ。
 東京。トウキョウ。Tokyoはいいなぁ。東京人ども、離れてはじめて自分らが東京に恋してたってことに気づくんだよ!キモく叫んでみたいの。わああ