乙女の人生ないものねだり

mxoxnxixcxa2006-11-28

 今回の東京行きは基本的に自分一人で好き勝手に行動するものではなかったので、第一目的地たるビッグサイト以外は、同行の大阪人と東京を眺めるという感じだった。
 ブンカムラは、文化村じゃなくBunkamuraというのが気に喰わぬと大阪人。東京メトロ のメトロってなんやねんと彼女は憤る。ガーデンプレイスって気取っていわなあかんのかと突っ込んだ彼女は建築好きなので、上野の国博に行く時間がなかったために表参道ヒルズへ向かった。私はあまり安藤忠雄が好きではないので、適当な気分で表参道の高級ブランド店舗を無視しつつ、表ヒル、大したことねえなぁと呟いたんだった。
 マリメッコ路面店に立ち入り、知人とまでは呼べないけれど、幾度かお会いした事のある方がマリメッコにいた時の代表作を憧れの目で眺める。凄い人だ。すごいすごい。眩しいよー眩しいよー。使い捨てのデザイン業界で、何十年も現役。その方が、昔の同級生でこの年までデザイナーを続けられたのは自分だけだと仰っていたのを思い出した。過酷なんだよと、その方は静かに言ったんだった。私は何者でもなく、なんて先が見えないんだろう。誰なのだ、頑張れば夢は必ず叶うとかいう空しいことをはじめて教えてくれた、優しくてひどい人は。届かないものばかりが眩しく見えるんだよね。人間には分際があるっていうのに。
 何をこんなにしんみりしているのかというと、何かこう、私はもうすでに東京の部外者で、離れて眺める東京は何でも詰まっていて、情報も文化も溢れていて、どうして東京にいないというだけで、こんなにも焦燥に近い取り残され感が募るのだ。何処にいたって、そこにいてはいけない気がしてしまう。私は京都のよそさんで、もっと言えば関西に住む非関西人で、大阪語と神戸語と京都語の区別も出来ない異国人で、東京を離れれば嫌なことも思い出したくないことも置いて出てしまえば楽になったし、特に思い入れもなかったはずなのに東京が恋しくて眩しくて、愛憎みたいなものを抱いてなんだってんだ。私の京都ライフは想像していた以上に楽しいし充実しまくっているっていうのに、私は多分、乙女として恋でもすべきよねと思ったんだった。性別はどっちでもいいから、京都に帰る場所でも人でもいいから欲しいの。此処にいたい、此処が居場所と思いたいの。
 20代を折り返して、たぶんきっと、三十路の足音が聞こえてるんだと思う。一体いつになったら、もう大丈夫だと思えるんだろう。結婚に憧れを抱けないし、じゃあじゃあ、私は一生涯自分を養って、なおかつ人生を楽しめるだけの自由に使えるマネーを持てるだけのお金を稼いでいかなきゃいけなくて、いつかマンションを買って、そのうち安心して死に向き合えるだけの高級老人ホームに入れるだけの貯金はして、で、それで、それで、いつまで続くんだろう。いつになったらこれで良しと思えるんだろう。いつになったら、ああ生まれてくるって最高!人生は素晴らしいと思えるんだろう。楽しいことも多いけれど、しんどいことの方が多すぎる。不幸せではないけれど、幸せとも思えなくて、いつもいつも何となく不安で満たされない。
 ある友人が、自分が心底生まれて来て良かった、生きてるってそれだけで価値があると思えない限りは、子供を生む気にはなれないんだよねと呟いていた。「頼んでもないのに、なんで生んだんだ」とか言われたら、答える言葉が浮かばないと言う彼女の言いたいことは凄く分かって、嬉しいことよりも悲しいことの方が多くて、喜ばしいことよりも、もどかしいとか悔しいことの方が多くて、大人になる=こんなもんだと諦めていくみたいなものなのに、赤ちゃんて可愛いわーウェルカム!って、無責任で傲慢なんじゃないかしらとか、いえ、だからって「じゃあ私は生命を生み出さない、何故なら己の生に良しと言えないからだ」というのも返って傲慢なんじゃないかしらとか。
 面倒くせえな乙女心って。だからといって、男子は楽かと思いきや、そうでもないんだよね。私は何が言いたかったんだろう。単に晩秋の空気にしんみりしているんだと思う。京都の秋を満喫したくても時間もないし、何処にいっても人でごった返してるし。思うとおりに歩いていけないと思っても、じゃあじゃあ、思うとおりはどんなかと言われても、結局分からないんだもの。ないものねだり。ああ。