通天閣、ビリケンと串かつの国

mxoxnxixcxa2006-11-18

 11月さる吉日、所用で大阪へ。用事が済み、心斎橋で個展をしていた人の会場にお邪魔し、数人でうどんを食した後にもう一箇所、別の人が作品展示しているところへ行った後に解散。さてさて、この後どうする?と友人2人で話し合う中で、大阪はキタ文化圏で生まれ育った彼女がビリケンを知らないどころか、通天閣へも行ったことがないと言うのに驚いて、非大阪人である私が生粋の大阪人を通天閣へ連れて行くことと相成ったんだった。
通天閣って、どうやっていくん?」と大阪人。なんですかね、大阪という土地はキタ文化圏とミナミ文化圏に分かれ、ミナミ文化は所謂食い倒れの下町文化、キタ文化は都会的で大阪特有の泥臭さの希薄な文化というのはおぼろげに知っていたけれど、ここまで交差していないとは知らなかった。
「動物園前駅という駅だったと思うなぁ」という私に向かって、ビリケンも知らぬ大阪人が言い放ったのは、「ああ、そこ、治安悪くて有名やわ…」。そうよ、駅にはさかんに引ったくりに気をつけろという注意書きが貼られ、私と妹が初めての大阪で、ディープ過ぎる体験をしたのもこの“動物園前駅”の南に続くエリア。それはそれは恐かったので、今日は私は遠慮するけれども、次回是非足を踏み入れてはいかがなと提案して、即座に断られ。
 で、着いた新世界はというと、2度目とはいえ本当に、古くて新しい感覚が溢れていた。アーケード内の小さな一角には、『新世界の中心で愛を叫ぶ』というピンク色に輝くハート型に、鍵?南京錠?が、恋人同士の名前入りではめ込まれているが、数が少々寂しくこれはきっと、新世界商店街の若夫婦たちが頑張ってまずは自分たちから…とやっているのだろうと言い合った。だって、だってさ!これをするなら、少なくともその辺で鍵は売ろうよ!そうして、タバコ屋には意味不明に『大きいおっぱい』『特別大きいおっぱい』という手書きの名札のついた拳大のスポンジが売られ、立ち飲み屋には、まだ日も高いというのに中年男性らが集い、新世界出口にあるフレッシュジュース屋は、所謂いま駅構内などで流行のミキサーで絞りたてを飲ませてくれるというスタイルであるにもかかわらず、そいつらは持っていない過度の気安さが溢れているんだった。同行者の大阪人は写真をやっているので、首から提げた一眼レフであれやらこれやらを大はしゃぎで激写していた。
 もっとも通天閣という界隈を象徴しているなあと思ったのは、一台全部、中身がカップ酒というでかい自動販売機だった。過剰な程にきらびやかな外装の串かつやが並び、ずぼらやの河豚がぶら下がり、黄金色に輝く巨大なビリケンがあっても、どこか寂れて行き詰った界隈というか、いいや、これが大阪の下町なのだ!といわれればそうなのかもしれないんだけれど、古き良き大阪が残っているというよりは、時代の流れに取り残された寂寥のようなものがあちらこちらに転がっているのを感じる。通天閣ロビーには、『手品コーナー』なるガラスのショウケースが無造作に置かれていて、中には売る気があるのかどうかも不明な色あせた手品グッズが、全く関係ない使い古したカセットテープや、使いかけの両面テープやミニラジカセなんかと一緒くたに突っ込まれて、ひっそりと佇んでいた。しかもガラスケースの上には、エビせんが2枚だけ置いてあった。何もかもが意味深のようで意味不明。これは笑いのネタなのかなんなか、兎に角こういったディープでコアなツボ所は満載の通天閣エリア。
 大阪を知らないお前に何が分かると憤る方も居るかもしれないけれど、大阪キタ人と非大阪人の私が外部から眺める通天閣は、シャッターの閉まったお店と、明るいうちからカップ酒を歩き飲みする初老の男性と、パリのエッフェル塔から放射状に道が伸びる様を模したという通天閣の2階ロビーから見下ろす物寂しげなるパノラマの街。
 もう見終わっちゃったね…と凍えながら呟いたのが夕刻前。しかしここは通天閣。いいんじゃねえの?ということで、日の暮れる前から串かつやへGO。あまりにコアな雰囲気のお店は初心者には敷居が高かったので、ボブ・マーリーが「むっちゃうまい!」など謳うジャマイカな看板のお店で、「ソースの二度づけ禁止!」の文字に囲まれた店内でダイアナ・キングなんかを懐かしく聞きながら4時間強、ジョッキとグラスを傾けて、何本もの串を頂き、キャベツのお代わりもして灰皿を山盛りにしました。どて焼きに初挑戦したんですが、非常に美味しかったです。コラーゲンを感じました。