楽なものは無いってわけ

mxoxnxixcxa2006-10-05

 提出分の78%が通った。大半はやっつけデザインだったのに、なんだか嬉しいよう。案外じぶん、できるヤツなんじゃねえの?と、ここで有頂天になるから気分にムラができるんである。ゼロかマックスかという振り幅はまずいですな。
 秋の気候につられて滅入っていた気分も徐々に引っ張り上げ、意味不明の食欲不振は通常程度に。しかし体重計を持っていないので知りようがないんだけども、月々頼んでもいないのにやってきて、数日居座って腹痛やら不快感やらをもたらすあいつがこねえよということは、私はけっこう体重を落としているんでしょうかね。落ちて2キロ程度だと思うんだけど。でもいいの。体重計を買ったら縛られそうだもの。完全に失っていた自信を若干取り戻した日。
 存在そのものが生き恥。どうして天才じゃないんだろう、この無能。嗚呼この際だからいっそ透明人間になって消えてゆきたいだって私が消えても誰も気づかないわ…と冷静に考えればそうとう頭おかしい愚かなことを真剣に考えてるから、鬱々スイッチは馬鹿らしいですな。ユー独りで世界の苦悩でも背負ってんのかよう、ていう。こういうスイッチが入っていると、とにかく現状を把握して分析しなければならぬと思ってしまい、しかしてこういうときには客観的になろうとすればするほど視点が歪んでゆき、そんな、本をいくら読んだところで、付け刃で己を照射しようなんて浅はかなんだっていうのも、冷静になれば阿呆らしいことなんだった。自分を知ることなんてできないってことにも気がつかないまま、延々と袋小路で悪循環スパイラル。困った人。
 でも本当は、デザインが少々の評価を受けたくらいで厭世観から一気にジャンプするようなメンタリティは、賢くないよね分かってる。何事も極端から極端は好ましくないわけで、そこそこを維持できる女が、フラットをキープできる乙女がクールでセクシーなんだと思う。私は愚かなので、自分の器がどの程度かは把握できていないくせに、できる人になりたいの。できる人がいいの。できる人だと思われたい。できる人になって、自分を確認したいの他人の評価を通じて。
 ゼロから何かを表現できない。1がなきゃダメなのだ。例えば「今回はこれこれこういった枠内で」という制約が。それに対して、私はココまでお答えできるのですよと。プロダクトとファインは根底から別なのだ。どっちが凄いとか、どっちが純粋芸術だとかは関係ない。どっちも苦しいわけ。『戦え!何を?人生を!』