秀山祭九月大歌舞伎@昼の部

 まず9月の見所は、なんと言っても播磨屋高麗屋の兄弟対決共演だったと思うのですが、なにが何でも観たかったのは籠鶴瓶。なぜって鶴瓶。だって八ツ橋。発表されたときにはああと叫んだよ本当に。
 だいたい、歌舞伎は最低10年はコンスタントに見続けて初めて脱初心者という印象があって、私みたいなひよっこがなんだこうだと感想をいってよいのか知りませんけども、先月の歌舞伎座はなにをとっても凄く良かった。昼夜ぶっ通しという御のぼりさんならではのハードさだったんですが、全く苦にならず。
 昼の部で印象深かったのは、引窓と寺子屋。引窓は、依然見たのは誰と誰がやっていたんだったか覚えてないけれど、芝雀のお早がいじらしくて、吉之丞がまた切なくて、なんといっても吉右衛門の継子としての切なさがもう、もう、おお…と周囲ですすり泣く声があちらこちらから。しかし人前で泣かぬ主義の乙女はこらえました。血の繋がった子がやっぱり可愛い親心と、愛されぬ継子の心根が切なくて悲しくて。
六歌仙では、なんだか雀右衛門がよろけがちで心配でした。80半ばであの可憐さは凄いけれど、なんだか観ていて痛ましい思い。
 昼で一番良かったのは寺子屋。兄弟共演もさることながら、その他の配役も凄く良くて、戸浪の魁春が本当にいじらしくて可愛らしかった。この話の筋自体は現代に通じる共感性は全くないし、子供を差し出すとか身代わりにぶっ殺して首を切り落とすとか、話だけではいやはや、なんともはや…ねえ?みたような内容なのに、さすが人間国宝。千代はさすがだった。え、まさか生きてるの?とほんの少し嬉しそうにしたあとで、ああやっぱり…と空笑いをする。悲しい…。
 現代演劇に通じる幸四郎の松王丸もよかったんだけど、千代が、芝翫の千代がもう、抑えた感情表現と、丁寧な所作の奥からそれでも悲しみが滲み出ていて、客席の大半はしくしく泣いていた。と思ってたら私まで泣いちゃったんである。
 福助は、昼の部は最後にちょっと出てくる園生の前での出演のみ。だって、だってさ!夜の部に八ツ橋が控えているんだもの。なんにしても、9月歌舞伎座女形が非常に充実していた月だった。と思った。歌舞伎って素敵。様式美と生身の人間の心情が同居している。浮世の憂さをほんのひとときだけ忘れさせる華やかな作り物なんだけれど、絵空事に終わらない人間の機微がある。南座はもっと歌舞伎をやるべき。だって古都なんでしょ?