富本憲吉に打ちのめされる

mxoxnxixcxa2006-09-10

 京都国立近代美術館へ行ってまいりました。富本憲吉という第一回の人間国宝となった陶芸家の、生誕100年記念展。
 招待券をもらっていながら、是非行くべきだ、絶対に勉強になると散々言われていてもすでに図録は見せてもらっていたので、ううんと面倒くせーな、展示内容は図録で観たしなぁ。大体分かったよ。と腰が重くファイナルの日を迎えてしまい、もういいか…なんて思いかけている自分を奮い起こし、だめだめ、一日家に居てはいけないわと作業で煮詰まった頭を冷やす目的もかねて、しぶしぶ出かけていきました。やはりこれは観ておくべき展覧会でありました。
 例えば大学なんかでは、もうさんざん直接鑑賞の大切さを説かれて、興味のないものでも実際見てみるとがらっと評価が変わったりすることもあるのだと分かっていても、人間どうしても面倒くささが先に立ちますな。しかし、やはり先生が言っていたことは正しいのだった。図録を見て観た気になっていたのは大間違い。素晴らしかった。すごかった。やはり人間国宝は国宝だけあるんだ。
模様から模様をつくるべからず」という信条をもっていたという人間国宝。なんていうか、凡人にとって、柄物をデザインするというのは非常に苦しいもので、もう出尽くしてるじゃないかというのは常に付きまとうものなのだと思う。出尽くしたものの中から要素を抽出して、何とか新しいものへ再構築するのがせいぜいだわとへいこら地上で這いつくばる。
 例えば「和柄で」、という時に、和柄などいうのはもうすでに完成されていて、何百という模様が、不要なものをそぎ落とされて美しく象徴化されていたりする完璧なジャンルだったりする。ではそこから何か生み出せるかというと、あとは構成を組み立てなおすか、色彩感で現代味を加えるかしか余地がないわけ。あとは和を構成する概念て…みたいな穴にはまっていくだけみたいな。紗綾形(さやがた)という幾何学模様があって、これは柄物に興味がない人でも絶対に見たことがある代表選手なんですが、これがまた完璧に計算を尽くした究極の幾何学模様とまで言われているわけ。
色とかたちが奏でる美 富本憲吉のやきもの (小学館アート・セレクション)富本憲吉の陶磁器模様近代の陶工・富本憲吉 (ふたばらいふ新書) そこで人間国宝が国宝たるゆえんなんですけども、植物モチーフから幾何学模様を生み出して、それをさらにデザインモチーフとしてひねりを加えて構築できてしまう頭の構造って、一体どんなものなのか。天才という言葉はかなり安易なのでこの際適当かは知りませんが、日々の努力があったにせよ、この人はやはり天才だと思う。そんなことをしみじみと考えた日。
 そうしてミュージアムショップでは、過去の図録なんかが沢山あって、'04年にあった『ファッションと色彩』という3㎝ほどの厚みのある図録がもう、すんばらしくフェティッシュ心のど真ん中をついてきて、18世紀のコルセットドレスに始まってロココから19世紀、そうしてシャネルディオールときて、ジョンガリゴルチエ、YOHJI、川久保玲JUNYA、ヴィヴィアンなどなどなど、現代の巨匠に至るまで広く網羅したドレスが大集合。もう、うっとり。
 あれもこれもそれも欲しい欲しい!と脳内小人が大暴れするので、諭吉が一枚飛びました。単なる紙でしかないのに、どうしてあれこれ欲しくなってしまうのだ。