Edward Westonと写真もろもろ

mxoxnxixcxa2006-08-30

レンズは人間の眼より多くのものを見る」 エドワード・ウェストンの画面構成は本当に素晴らしいと思うの。画像はピーマン(pepper)。
 写真史や写真芸術論もろもろにノータッチのまま過ごしてきたので、このジャンルには明るくなくて、綺麗な写真、不思議な写真、可愛い写真と好き嫌い判断で楽しんではきたんですけども、最近になって写真って、写真って、今まで思っていた以上に深い、凄いものなんじゃないかと薄っすら気づいてきたのは、ウェストンとの出会いが相当でかいものだったからではないかしらと感じる。
 私は長らく、そこにある風景をそのまま撮ったからって何だというのだとの思いがあって、パーソナルフィルターを通して再構築されたものの方が面白いと思ってきたわけで、だからこそゴッホの風景に貧乳を震わせたり、ホッパーの風景に感じ入ったりと、諸々の思いを抱いていたんだけれど、写真の切り取る現実って、なにかこう、こう、なんでしょうな、徹底した冷徹さがある気がする。写真映像には、絵画や彫刻、はたまた文学や音楽のような芸術と決定的に違う点があって、けれどそれが何なのかが私にはまだ良くわからないのだと思う。記録的側面と視線の演出に加えて、その逆の要素である作りこんだ状況の演出という両極の性質を持っていて、けれども両要素は視覚や記憶の表象化という共通点で、現実や実存というあやふやな概念をはっきりとしたものに置き換える装置であるような。
 よく「レンズは嘘をつかない」というけれど、それはその通りなわけで、他人の撮った写真を見ると「えー私ってこんな顔?」みたいなショックを受けることがあるのは、写真の中の自らを見るときに、鏡に映さない自分の普段の顔を見せ付けられるからだと思う。また、一つの風景を切り取れば、じかに目で眺めているときには、視野の中で脳が見たいものだけを取捨選択しているんだなと思い知らされたりもする。だからなんだ、上手くいえないんだけれど、写真ってものすごく大きな可能性を持っているんだなとやっと気が付いてきたんだわという話。
Edward Weston: A LegacyEdward Weston (Midsize)Edward Weston: The Flame of RecognitionEdward Weston: The Form of Nude (Monographs)Edward Weston (Postcardbooks) ウェストンといえばヌードと、貝殻と、砂丘と、野菜。そこにあるものを、そのまま収めているにもかかわらず、モノの本質を超えた姿を探り出して切り取るというスタイルは、この人によって完成されきってしまったんじゃないかと思えてくるような、突き抜け感がある。ピーマンがこんなにもエロティックな造形だったなんて、巻貝から匂うような官能を受け取るだなんて!これが写真で無かったなら、こんなにもはっとさせるほどの衝撃は持ち得ないと思う。1個のピーマンがレンズによって切り取られ、野菜の一種というカテゴリーを超越したピーマンそのもののリアリティを持って、「存在しています」と主張する。すごいよウェストンすごいよ!私の幼稚な脳みそでは言語変換できないくらいすごい。一つのピーマンで、お尻のアップで、一対の膝で、丸めた背中だけで、人間の眼の限界をこうもまざまざと知らしめて、実存そのものによってやすやすと現実を超えてしまう。
 写真てすげーすげーと阿呆みたように繰り返す拙い私に、どなたか写真芸術論あたりの良きテキストを教えてください。爪の先ほどでも知識を身につけて楽しみを増やしたいのです。
Edward Westonの作品もろもろ
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