姐さま方に女道を見る

mxoxnxixcxa2006-08-31

 けっこう孤独に埋没しがちな日々ですが、本日はこの前たまたま知り合いになった50代のお姉さまにお誘いを受け、50代のお姉さま様がもう一人いて、祇園でしゃぶしゃぶをご馳走に。
 仕事を楽しむ女はかっこいい。暇が無い忙しい人ほど、人生を有意義に使っているのだなあと心底感じる。接待かねてお客さんをお食事に誘い、がっつり働いて遊ぶ時間も確保し、夜はジムで汗を流す。週末は寺めぐり山登り、人脈も積極的に広げて、必要なればカラオケのために教室に通い、音痴も克服したとのこと。食事中も商談の電話が何度か鳴っていた。
今日は私が誘ったんだから、私が出すの」と、こちらに居心地悪くさせずにさらっと財布を出せる女。そうしてしっかりと娘さんも育て上げたという話。すごい。すごいクール。しびれた。あとはマネーね。頓着しないというか執着がないというか、働いているという充実感と、その分の収入を得ているという自信なのか、なんにしても人格的にゆったりとした余裕がある。兎に角かっこいいよう。
 あと、今月上旬辺りに会った70代の女性。まだ現役で編集業に携わる傍ら、京都の某芸大の通信教育も受けているのだそう。もう、もう、心から敬服した。人生は終生学びの場なわけで、どう楽しんで生きるか、どうやって満足の行くものにしていくか。真のリカレント教育の精神というか、人生を如何に自分のものにしていくのかというのを正面から見据えて生きてきた方は、持っているものが明らかに違う。
 その女性はブログも持っていて、日々の奮闘をつづっているんだけれど、趣味や仕事や通信の事なんかが明晰な文章で書かれていた。その文章を読んでいると、「だって70代でしょ?!」と驚く方が申し訳なく思える。文学に音楽に芸術にと楽しみを多く持ち、豊かな教養と広い知識を持った方なんだなぁと、尊敬せずにはいられない。すごいなぁ。こんな女になっていきたい。人生を楽しめる人は、孤独を楽しむ方法も知っているのだと思う。もなかの訪問者はささやかなんだけれど、そうかといってここにアドレスを掲載するのは躊躇われるのでのせませんが、そういう女性にひれ伏す思いをしたのよっていう話。美しく生きるって何なのか、その女性は知っているのだ。
 私はちょっと考えたんである。かっこいい三十路に憧れるし、素敵な四十路を目指したい気持ちはあるんだけれど、私はついぞ美しさは若さだと思いがちで、若くなくなっていくこと=美しくなくなっていくことだと考えてしまう。年をとることは醜く図太くなることで、嘆かわしいことのように思える。だから自分が年をとることをいまいち甘受していけないというか、老けていくことが恐いわけ。得るものよりも、失っていくものの方が明らかに多くて、恐くてしょうがないのだ。
 けれども、たぶんきっと、漫然と年だけ重ねていかなければ、女はいくらでも賢くなっていける。鈍重になっていくのではなくて、強くなっていくのだ。年配のかっこいい女性を見ているとそう思える。マイナスばっかりじゃないはず。物事は多くの面から捉えるべき。見方を変えれば違うものが見えてくるんだから。そう言い聞かせて鏡を見れば、ああ、なんか老けた気がするなぁみたいな。