Georges ROUAULT

Rouault Cameo (Great Modern Masters Series)我々とはみんな、道化師ではないのか。化粧で顔を作り、派手な衣装で着飾って楽しく振舞っても、生きる苦悩からのがれることは出来ない
数いる好きな画家の中でルオーは特別で、ルオーの道化師を眺めていると目頭が熱くなるくらいに、何やら脳に向かってびりびりと来るものがある。サーカスの主題は全作品の3分の1をしめていて、キリストに並ぶ重要なモチーフであり続けたもの。派手な化粧と衣装に身を包んだ道化師も、幕の内側では人生の侘しさをたたえた生活者の顔になる。舞台を降りると、化粧でも隠し切れない苦悩を浮かべているんである。
This Anguished World of Shadows: Georges Rouault's Miserere Et Guerre この連作『ミセレーレ』は、ルオーが「持てる最良のものを詰め込んだ」と言った連作で、「ミセレーレ」と「戦争」の2つから成り立っているもの。「ミセレーレ」は、シリーズの第一作目「神よ、我を憐れみたまえ miserere mei, Deus」という旧約聖書の「詩篇」から。作品ごとのタイトルもはっとするようなものがつけられていて、言いようのない素晴らしい連作。
 私は幼児洗礼から入ったカトリックなので、なまじ触れて育っただけにキリスト教的合理主義の発想や、選民的な思想に嫌悪感を持っており、あまり素直な気持ちでもってこの宗教と向き合うことが出来ないんだけれども、ルオーの描く聖書の風景や、キリストの受難を見ていると、宗教的な教えそのものではなくて、画家自身の純粋な祈りが込められていて、何故人間が宗教を求めるのかという答えを見たような気持ちになる。それでなんだか、不思議な安らぎを覚える。
「放蕩息子のたとえ」という説話が聖書にあって、私はこの話をどうしても胸糞の悪い話だとしか思えないし、キリストもヒーロー一人勝ちみたいな感じで、どうにも愛せないんだけれど、ルオーの絵を眺めていると、素直にああいいなぁと思えてくるんである。ルオーの作品は、一つ一つにつけられたタイトルがまた、とてもいいんである。ちょっと好き嫌いを脇において聖書を読み込んでみるべきとも、ちらと考えてみたり。嫌悪はものを見る目を歪めてしまうから。