Cindy Sherman
ビールをわりと呑みました。そんな季節が到来です。昨日の画像はシンディ・シャーマンでした。大好き好き好き好きです。昨今すっかりアートワークの一スタイルとして確立された感のある、演出を凝らしたセルフポートレートの元祖にしてプリンセス。シンディ大好き。スタンス全てが。
彼女が森村泰昌と違うのは、被写体としてカメラの前で演じるとき、シンディの場合はその作品の中に女性であることへの痛々しいくらいの問いかけがあるような気がする。どっちが先かというと俄然シンディが先ではあるけれど、そういった部分が根底で違うので、別に森村さんがシンディのパクリだとは思わない。何かがまったく違うんである。たぶんコンセプトが。
端正で可憐な容姿の彼女が醜い女に扮装して微笑みかける中に、女優のフルメイクでキメてみせる中に、キャリアウーマンになり妊婦になり娼婦になり少女になり絵画になり老女になり、本人が消えてグロテスクな奇形ドールのオブジェとなっても、それらの中には、女である女である女であるという、痛ましいくらいの主張がある。彼女の作品はセルフポートレートでありながら、徹底して本人は不在。女の記号が虚しく続いていくんである。死体になっても。
http://www.cindysherman.com/
ここにも作品が少々