貴婦人ヴァイオリン

mxoxnxixcxa2006-07-12

 この弦楽器があまり好きではないのは、昔の自分のしょうもないギコギコが耳にこびりついているというのが70%。残る30が、河合郁○とか高嶋ちさ○とか千住真理○など聴くいた時の、あのもう、耳を押さえてキーと叫びながら走り回りたくなるあの感じが30。
 人間の声に最も近い楽器といわれているだけあって、その音は非常にデリケート。そうして楽器にお喋りをさせてあげるはずが、ほんのちょっとのさじ加減で音を自我が喰ってしまい、ものすごく人の神経を酷くざらっと撫でるような音になってしまう。その不安定さがまずいやだ。背中を猫じゃらしのような生き物が上ってくるよ!
 この楽器の音はいつもどこか、破綻するか崩れるかというぎりぎりの緊張感があって、弾いている人の人間性が丸裸になっているようできつい。なにさ!ガツン!と叩けば壊れてしまう儚い構造。貴婦人にも喩えられる優雅な容姿は、さすがにどこから見ても隙も無駄も無いですね。そういう高慢な姿勢がまずやだ。デリケートなヴァイオリン様を怒って弾けば、発狂かというようなギーギー音となり、弓はぱらぱらくるし、挙句弦が切れるだけ。あんたは高飛車で気難しすぎるのよ!私は今酔っ払っているので、以降ウェットな愚痴になります。
 幼稚園の頃、将来の夢は?という質問に、「ヴァイオリニスト」と答えると母が喜ぶのを知っていた。そのくせ練習がイヤでトイレにも籠って泣いていたんだった。だから私はずる賢かったので、ひとまず母が笑ってくれれば何でも良かったのだ。適当な嘘なんていくらでも出てきた。母がいつ唐突にキレるのか分からなかったから。
 実家には、娘の成長に合わせて小さくなっていった歴代ヴァイオリンの面々が未だ保管してあって、諭吉数十人という値段だけども、この楽器にすればえらい安物の部類に入るという、高慢な値段の大人サイズのヴァイオリンも眠っている。いつか私がまた弾くかもしれないと思っている母の気持ちが辛く、孫ができたらその子が習うかもしれないという母の気持ちが辛い。おお、やめて!そんなもの、もう一生さわらないわと言えば母は悲しんで、勝手に被害者になるのだと思う。重たいなぁ。
 この春、実家で幼稚園の頃に使っていた一番小さい奴の蓋を開いてみた。いくつかの傷があって弦が錆びていたけれど、綺麗で小さくて可愛らしいの。幼稚園の頃って一体何年前なんだよ!と思えば、なんだかどうしようもなく不憫に思われて泣けてくる。蓋を開けられることも無いまま、何年もクローゼットに積み上げられているヴァイオリン達を思い出すと悲しい。私の手元にやってきて、それぞれ何年かずつお付き合いをして、残ったものが嫌悪だなんて可哀想だ。楽器自体は何も悪くなく、むしろ悪いのは私で、そうしてこの先も私の所有ということになり続ける限り、誰にも触ってもらえず、音を出すこともないのだと思うと本当に可哀想だ。重たいなぁ。
 だから老後には、打楽器ピアノを習いたいの。イライラをぶつけても、きっとそれなりに答えてくれる。私が還暦を迎える頃には、おそらく所有者を失くしているであろう父のピアノを引き取って、60の手習いとしてヤマハ教室に通うのが夢。私はいつになったら母の娘をやめられるんだろう。