花と散るらむ

mxoxnxixcxa2006-05-22

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
散ればこそいとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき

 時節遅れもいいところですけども、今の住居へ引っ越してからしばらくの間、ほぼ毎晩夜桜見物に近所を散歩し続けました。ゆえに今年は例年になく桜を堪能し、桜を再発見した春。デジカメのムービー機能で夜桜が舞い散る様なんかを動画に収めてそのまま放置してあったのを発見した。
 この春、「日本人だから桜が好き」という安易なキャッチフレーズを半ば軽蔑していたことを、多少反省したんである。桜は美しかった。ぼんやりと浮かび上がる夜桜は、眺めていると現実感が薄れていくような吸引力があった。夜桜というのは、数名で見上げればそこにアルコホオルなんかが欲しくなったりもするのでしょうが、周囲に話しかける人間を置かずに見上げれば、桜ちゃんたちは色々なことを問いかけてくる。
 私があまり花に興味がないのは、特にそれが地植えだったり野生度が強いほどに、そいつらの咲き誇るさまが、そのまんま生の賛歌・生の謳歌みたような眩しい輝きに満ち満ちていて、ああもうお腹いっぱい。もういいやという気分になるからなんだけれど、一転、桜は死を思わせるんである。カサブランカや牡丹などのえげつない花や、テッセンとかケシとか蓮みたいに毒々しい魅力満載の花は好きなんだけれど、向日葵なんかはものすごく嫌。チューリップとかタンポポとかパンジーとか、かなりどうでもいい。だから桜の魅力はもう、満開と同時に散っていくことだと思う。わざわざ言われなくても分かってるよ!という感じでしょうが、私は今年、今更ながら桜の良さを再発見したんだった。
 舞い散るさまにいさぎよさや刹那の美学を見出し、美しく散って死んでゆくというのは、軍国ジャパンにおいてこれ以上ない美徳とされたという話。太平洋戦争を知る世代の人の中には、桜の花を嫌う人も少なくなかったと聞いたことがある。そうじゃなくても、あのほの赤い花びらが薄闇に浮かび上がっているのを見上げていると、ああ桜の根元には死体が埋まっていて、その血を吸い上げて淡く赤くと言われれば、そのまま幽玄の世界へ。春になると木々が芽吹き、桜が咲いて散ってゆく。春=桜のイメージと、春の陽気で脳内の代謝がどうにかなってしまう人が居るのも、何となく頷ける。
 だから外国人に、日本人が桜の木々の下でどんちゃん騒ぎをしているのをみて、知的じゃないと指摘された折には、毛唐には解らぬ感性なのだと答えたらいいよね。最も美しいときに散ってゆく花に、にぽんジンは人の世の空しさを見るのだ。生きることの切なさを、存在の儚さを重ねて眺めるの。だからこそ生を謳歌したいと思い、浮世の空しさの中でもつかの間の享楽を見出したいと願う。桜の花びらがピンクのゴミに見える西洋合理主義に毒されたハンバーガー頭には分かるまい。土俗的だなんて言わせない。騒ぎたいだけなんだろ?というのは内緒。日本最高。日本万歳。
 ほうら日本は国際社会の中で自信を失くす一方だから、コアなジャパンにしがみつきたいんだろ?という問いかけも無視してGO。日本人は繊細!繊細なの繊細なんだから!と強がりを言ってもいいよね桜に関してくらいは。今、mekura meppou niという日本語をかな入力しましたが、漢字変換されないんですね。差別用語だからですか。でも冷静に考えれば、やっぱり酷い言葉。日本語の、こういった無自覚に残酷な言葉というのには興味がある。場所塞ぎとか間引きとか、使い方次第でぞっとするような言葉になる。面白いなぁにぽん語は。
 一人ぼっちの住処でアルコールを摂取した20代後半乙女一匹。たぶんすごいキモい文章を書いていると思う。それは全部、一日の疲れを癒す一人酒の所為にする。寂しくなんてないんだ。