乙女一匹、執着を振り払う

mxoxnxixcxa2006-03-16

 常に笑顔を絶やさずとの難しいモットー掲げ、人様に向かって弱音を言えぬ体質なくせに、ぐちゃぐちゃした感情にもみくちゃにされたままで居るのがいやなので、文字にして脳内からお外へ逃がし、弱音を吐いて頭をすっきりさせるということが習慣づいて結構たちます。
 私は封印BOXというのを2つ持っていて、双方とも普段開けはしないけれど捨てられないガラクタが突っ込んであり、いやいやもうこの辺であらゆる物を捨てちまえよ!見ないものならいらないわ!と思って開封し、大事にしていた写真集とか思い入れのある小物とかCDとか、売るのも面倒くせーなもう捨てちゃえよ!とがんがん捨てているんである。何に対しても執着はいけないよと言い聞かせて。だから宝物BOXのは内容が厳選され、半分近くまで縮小に成功。
 今日は今日とて、捨てられぬBOXの奥、青き乙女時代のルサンチマンをなんとなく走り描きしていたどうでもよろしいラフスケッチとか、日記とか日記とか日記とかが出てきた。わああ恥ずかしいたすけて!
 そうして、開いてみて激鬱に叩き落されたんである。ぱっと開いた頁には、人生の苦悩が簡潔な言葉でぎっしり。物凄く落ちる。なんですかこれは。え、あれ?私はボーダーちゃんか?というような被害者意識のオンパレード。生き地獄にでも身を置いているかのようなきわきわな内容で四面楚歌で、ああやめて!死なないで!みたいな。人生はもっとシンプルよ!みたいな。よくもまあ母を殺さなかったなと思った私は一応、陽気な悩みのないギャルという設定で、自作自演の生活をしていたのじゃなかったっけ。この鬱々とした破壊力はなんなのだ。忘れていたことまで思い出させられ、引きずり戻されそうになるのは自分が書いたからですかそうですか。なんて危険なのだ。イタい。いろんな意味で相当痛いんである。
 私にも少女の目が開いていた頃が有ったのだ。こうなったらこれをまたも新居に持ち込んで、もう失くしてしまったものを思い出しつつ、何やらの表現手段として照射させることは出来ないかしらと思えば、こんなものを何日かかけて読みきろうものなら、きっと鬱ってどうにかなってしまうと思うので、やっぱり捨てちまえよ!
 そうして、レシートの裏とかメモの切れはしとか、紙ナプキンだとかに走り書きした、ああこれは忘れたくないという出来事のメモやなにやらが突っ込んであって、忘れたくないと思うだけあって、もろもろの染みることがカオスのプールになっている。加えてまだ青かった頃、常時自分のもやもやを言い当てる言葉を捜していて、本やら何やらから抜き取った言葉も、そのプールにもみくちゃに突っ込まれているんである。
 でも形に残したって私は忘れてしまう。形にしなくとも頭に残って忘れないものだけ持っていればいいと思うようになったんだった。何もかも忘れずに抱え込むことなんて出来ないのに、生来の貧乏性なので、あらゆるものを手放したくない忘れたら負けと、日々の小事まで手元においておきたくなってしまう。煩わしいじゃないの忘れたっていいわよって脳内小人が歌っています。たぶん捨てられないものほど捨てちゃえば楽になるよね。今よりもっと身軽になって突っ走って行けよ!そういうキモい日記を自分に言い聞かせるために書きました。
 引越しって、そういう点ですごく良いもの。リフレッシュの絶好のチャンスだし、引っ越すたびに物が減っていく。でもまた増える。乙女の物欲って!