mxoxnxixcxa2005-06-05

 超じめじめしているんです。でも日常でいちいち言わないし
 この1カ月で身辺で2人も他界してしまった。一人は闘病の末。もう一人は、Yさんから1ヵ月と立たぬうちに、脳内出血でくも膜下から何からいきなり大々的にやられて、呆気なく死んでしまった。何でこうも死んでしまうんだろう。私の近辺の人は私より先には死なないで欲しい。早死にする予定はないけれど、私が死んでから死ねばいいのにとか、どうでもいいことくらいしか考えられない。
 Yさんが居なくなって以来、どうでもいいことばかりを考えて必要以上に楽しむようにしていたんだけれど、Mさんまで。そこで、見逃して悔しがっていた福助カルメンを貸してくださるという親切な申し出を無碍にしたりして、ああもう本当にごめんなさいありがとう嬉しかったです。
 Yさんが死んでもうすぐ1ヶ月が経つ。私がYさんに最後にかけた言葉は「頑張ってね」だった。容態が悪化してたことは知っていたのに。もう十二分に頑張って、これ以上頑張れないことだって分かっていたのに。それまでは強く握り返してくれていた手が、その日はもう握り返してはくれなかった。どんどん弱っているのに気づいたのに、私は無視したのだ。頑張れなんて無粋なことを言って。
 容態が急変していよいよだという時に、ずっと泊り込んで付き添っていたNさんから電話があり、Yさんの呼吸を聞かせてくれた。「もうこんな感じなんだよ。もう最後だと思う」。そう言われた後に聞いた音はごーごー言っていて、今でも脳内再生が出来るくらいにインパクトがあった。病室で携帯電話はいいのかなとかちょっと思ったのだけれど、聞かせてくれてよかった。
 Yさんは一切の延命治療を拒んでいたので、あの有名な高カロリーの黄色いバッグもぶら下げることなく、痴呆状態を引き起こすという理由から増血剤もあまり飲みたがらなかった。スパゲッティ症候群にはしないで欲しいといって管だらけになることも拒否していたので、衰え出すとあっという間だった。あと3ヶ月と言われてからセカンドオピニオンを経て、丸2年になるのを目の前にして行ってしまった。それでも奇跡的に痛みがなくて、結局最後までモルヒネは使わなかった。
 Nさんは知人の医者から輸血の怖さをきいていたんだけれど、Yさんの場合もその通りに、輸血をして一旦病状が劇的に良くなり、その日に一緒にお花見に行ったりなどして本当にこのまま2年でも3年でも生きるんじゃないかしらというくらいに元気になった。それで、数日後にがくんと悪化し始めて、そのまま見る見るうちに落ちていった。輸血なんかしなければ、ゆっくりとしたペースで弱って行けたんじゃないかという気がしてしょうがない。でもそんなこと空しいばかり。
 老若男女関係なく襲ってくるこの癌やろう。ふざけんなYさんを返してほしい。あの膨大な知識は一体どこに行ってしまったんだろう。あの博識は一体どこへ消えていったんだろう。もっともっと色々教えて欲しかった。青臭い私をたしなめ続けて欲しかった。親に言われても聞こえないことも、Yさんの言葉は素直に聞けた。Yさんはいい人だったから、皆がYさんを好きになった。何で皆を置いて行ってしまったんだろう。でもこれは私の勝手な理屈であって、何も死にたくて死んだわけじゃないくらい。私は理解するべきなのだ。
 そこへ来てMさんまで。何でこうも呆気ないのだろう。Mさんはとても可愛い人で、方向感覚が何ともいまいちだったけれど、でも大丈夫。今ならYさんが連れて行ってくれるから、迷子にならないよ良かったね。と、Mさんの冷たい顔に触りながら言ってみたけれど、寂しいなあ。寂しいなあYさんがもう居ないんだもの。Mさんともう彼方此方行けないんだもの。
 天国とか極楽思想なるものは人間の弱さが望んだものでしかないと思うし、私自身は死んだら無になると思うのだけれど、YさんとMさんはどうか楽しいところでキャッキャ言って暮らしていたらいいのになと思う。悲しいことじゃないんだと言い聞かせるけれど、寂しい。寂しいなあもう会えないから。猛烈に寂しくてどうしようもない。寂しいなぁ帰ってきてよ。そっちのほうが楽しいの?寂しいよ。