やってきました6月が

 勘三郎襲名のこの3ヶ月、行きたいなとは思いつつも私とは全く関係のないところで日々は過ぎ行き、とうとう6月が。桜姫も始まったし、あちこちへ感想などを拾いに巡ってみる。
 しかし少しく疑問がある。福助はこの桜姫実現に際して、「よく橋之助とやりたいねと話していた」このあたり。御兄弟であのむせかえる様なセックスの香る濡れ場をやりたいというこの感覚は、歌舞伎界の兄弟にしかわからぬものなのだろう。
 歌舞伎の魅力のひとつに、立役も女形も男という倒錯的な設定があって、私が女形に感じる魅力は、様式化された概念上の女を演じているというところにあるので、女形を女がやっては単なる時代劇的な魅力しかない様に思う。逆に女が演じてはあの過剰さは出せないし、返って人間臭が漂うのではないだろうか。
 然るにこの、女子の役も男子の役も男子が、恋人同士などいう場合も、男子同士がお役の上で男女のあれこれを演じている倒錯的な風景が醸し出す淫靡な雰囲気こそが歌舞伎独自の魅力の一つだと思う。
 なんだけれども、それが兄と弟となると、不思議と一転して空気は健康的なものに変身する気がする。倒錯的な空気は何となく健全なものに。勘太郎七之助権助と桜姫だったら?翫雀扇雀だったら?健康的な感じ。仁左衛門秀太郎だったら?あ、これはあり。
 あ、でも待って。兄と弟がお稽古している場を想像してみる。浴衣姿で、普段顔の兄と弟があれやらこれやら恋人同士。…なんか生々しい。拵えナシの場合は他人同士の方が健全な風景。結局分からない。
 そうはいっても、楽しみで仕様がない桜姫。今月はコクーン福助歌舞伎座昼・夜で仁左衛門吉右衛門の共演と秀太郎が、そして海老蔵襲名では菊五郎團十郎左團次も。しかも千秋楽。全部下旬に集中しているんだけれど、いつにない歌舞伎月間なのです。ひゃっほう。数年前に、「教養として」としぶしぶ連れて行かれて良かった。