妹が自殺して以来ずっと、身内か完全な他人と事務的な会話をする以外に、普通の友人となんとか会話せずにすませてきた。しかしいい加減、電話を無視して「ごめーん!今ちょっと手が話せないからメールでご用件を」とか、「ちょっと風邪ひいてるみたい」なんてやってないで、そろそろ日常を取り戻さなければと昨夜、何度も適当な理由で断り続けてしまった友人と、かねてからの約束の飲食店にくりだした。

近況報告やら仕事の話やらしながら美味しくいただいて食後に、他にもちょっとこの一月弱は大変だったんだと報告した。このように穏やかに微笑んで言えるまでの時間が必要だったんだ。

大丈夫?とか言われるのが嫌だったし、普通に友人とは普段と変わらない関係と会話をしたかったからだ。ちょっと驚いて、その後はずっと、そっか、そっかと言う友人はとてもありがたかった。

突然死と言ってみたら、本当にそんなような気がしてくるから不思議だ。でも一瞬にして頭の中では「」書きで、そんなんじゃないんだ自殺したんだよね、と浮かぶ。

遺書なんて遺してなかったら、事故やらさじ加減の間違いだとか、なんとでも自分に言い聞かせて脳みそを騙しきることができたはずだ。でも現実はそうじゃない。私は苦しい苦しい訴える妹がちょっと重たくて、重い気分が伝染するのがちょっと嫌で、妹を見殺しにした姉なのだ。この事実だけは一生消えない。どんな風にも自分に都合良く解釈できないし、適当に事実をねじ曲げて自分を騙して守ることができない。

私は目が変わったそうだ。友人はただいつもと変わらない口調で、何度かそう言った。笑って「そうかなー」なんて言ってみるが、そりゃそうなんだろう。私の人生には後にも先にもこれ以上のことは起こらない。