私は元々、衣服や靴バッグなどの装飾品といったたぐいの所持量は平均よりもやや多いくらいだったかと思うんだけれど、コート類ばかりをかけていたパイプハンガーがそのあまりの重量でパイプが落ちるという事態になっていて、仕方がないのでビニールテープでうまいことくくりつけて重みに耐えるように工夫した。元々多かったコート類が増えて、何着あるのやら数えてみなければと思うんだけれど、別に今じゃなくてもいいやと思っている。

 とりあえず詰め込んだプラスチックケース2つ分のメイクやヘアケアの類、箱のないブーツは玄関にとりあえず並べ、部屋に積んだ靴箱が12,3箱。衣装ケースに詰め込んだ衣服が2ケース。入りきらない分がその上に積んである。

 結構な量を妹の友人たちにあげて、残りは実家に送ってある。私が着れそうなものは手当たりしだいとりあえず我が家へ送った。靴だってかなりの数を私の独断で捨てたし、服も結構思い切ったつもり。一度実家に送ってしまえば、両親はもう捨てることはできないだろうと考え、大半は私が引き取った。それでも、相当でかい段ボールが実家に何箱も行ったはずだ。山のような遺品に囲まれて暮らすのは、親としてはかなり辛いだろう。

 割れないように食器を包んでいたニットを洗ってしまおうと手にとって、まあ今じゃなくてもいいやと思ってやめた。どの服も妹のにおいがする。妹ににおいがあったなんて知らなかった。とても懐かしいにおいだ。部屋にはまだ妹のジュエリーケースが転がっていて、袋から出して自分のもこれに入れて整理してしまおうと思っているんだけれど、なんとなく億劫で放置している。

 Kは自殺したのだ、自殺したのだ、と日に何度か自分に念押ししている。そうでなければ、色んなことを忘れてしまうし、現実味が薄れていく。自殺したのだ。私たちは、身内に自殺された家族なのだ。

 悲しいことに、私に最後に残ったのはKに対する怒りばかりで、私は本当に、人間の嫌な部分ばかりに目を向けるようになったみたいだ。何とか自分に都合のいいように死を解釈する本能や、他人の目に一瞬ちらつく抑えきれない好奇心や野次馬根性的な何やかや。人間は本当にえげつない。けれど逆の立場なら、急な何かで身内を亡くした人を前に、私もきっと同じような好奇心を抱いたただろう。人間はとても醜い。