これは何かに対して申し訳ないのかどうなのかよくわからないんだけれど、どうにも私は慣れてきたというか忘れてきたというか薄れてきたというか、こんなことってあるんだろうかと冷静に考えたりもするんだけれど、「なに悲劇に浸ってんだよ」という気分になってきたみたいだ。

 みたいだというのも可笑しなことだと思うんだけれど、ようするに麻痺してきたのか馬鹿馬鹿しくなってきたのか飽きてきたのか冷めてきたのか備え付けの防衛本能なのか、世に言う「喪の仕事」の4プロセスを各2日ずつくらいのスピードコースでこなしきったのか、これは一体どういうことなのだろうか。おいしいインドカレー屋に行く約束を忙しいと言って断り、また別の友人の作品搬入を忙しいと言って断り、こんな不義理を働いている場合ではないだろう。浸ってんじゃないわという気持ちが膨らんできたみたいだ。


 午前中まではひどく無気力で、ごろごろしながら妹の部屋にあった文庫本をさくっと懐かしく読破して、少し作業をして、コンビニとスーパーに行ってスープを作ってたっぷり平らげて、今度会ったらお勧めしようと思っていたMVを延々ゆーちゅーぶで見続け、あー絶対こういうの好きだったよなあなんて思って、で、しょうがないかもう居ないんだし。あーあ残念。なんてさらっと思ってることに気がついた。明日は朝から作業すれば、来週末の期限に新しいのが間に合うだろうか。無理かなあ。あんたの所為だからねほんとに。なんて普通に考えている。やることは沢山あるのだ。

 対外的な形としては急病による突然死として一致させようという姿勢が固まったところで、なんだかだんだん突然死だったような気もしてきた。そもそも妹と過ごした日々だって、幼少期の記憶みたいなふわっとしたものとの境界が、無いような有るような感じだ。記憶なんてそもそも当てにならない。妹が自殺で死んだという事実や、自殺で死んだ妹の存在や記憶を、私はどうしようとしているのだろう。4月の頭にあったときに、「もにちゃん、自殺ってどう思う?」なんて核心を突くような質問をされた覚えがあるのに、自分がどう答えたかを全く思い出せない。私は少しずつあの子の背中を押してはいなかっただろうか。だとしてももう今更どうしようもないことだ。別にあの子も恨んじゃいないだろうあの世のお祭り騒ぎが忙しくて。そんなことを考えるくらいに頭が冷めきってきたような感じだ。

 今の自分のこの状態、何となくだけれどこんな風になるのではなかろうかという気はうっすらとしていたのだ。いいのか悪いのか知らないが、こんなに早い時期とは思わなかった。この静けさにさすがに戸惑うので、プチ骨壷を振ってからからいわせて、うん、入ってるよななんて確認してみたり、丁寧に収納した衣装ボックスから妹のTシャツ引っ張り出してパジャマに着てみたけれど、感傷に浸ることもなく「本当に洗ってあるんだろうね?」なんて気にしている。

 来週末、最後に妹の部屋に行ったら私は何かを感じるだろうか。元々わかってはいたけれど、自分でわかっていた以上に私は冷たいか乾いているんだろうか。
 だけどなんとなくわかる。私はたぶん何かを捏造するか塗り替えようとしているみたいだ。全貌はまだよくわからない。何にしても結果が残るだろう。この世は結局のところ生きている人間のための場所で、みんなそれぞれがあらゆる事実を自分に都合のいいストーリーに脚色して生きている。現実に適応しながら生きていくってそういうことだろう。今私はその渦中にいるんだろう。ということに今日のところはしておく。