一体何きっかけで妹があんなに博愛精神の塊みたいな人間になったのかは全然わからない。たぶん生まれつき、自己中なくせに優しかったのだろう。


 ホームレスの自立支援センターで、明日のない、誰にも気遣われないおじさんたちが、自分のような若い子に励まされたり笑いかけられたりしているうちに、どんどん顔つきが変わってくるのだと楽しげに言っていた。ホームレスの中には知的障害や精神障害を持つ人の割合がいかに多く、トータル的なケアがいかに必要であるのかをなんでか私に向かって熱弁した。私は、まあ言いたいなら聞いておかねばまた拗ねてしまうなと、ふんふん相槌を打ち続けてきた。妹に頼まれ図書館につきあった時に妹が借りた本は、世界の貧困や生活保護申請マニュアルなんかで、ただただ感心したけれど、もうすでに妹はそんなキャラと思っていたので、とくになんとも思わなかった。


 重度の知的障害施設に関わったこともあった。患者と呼ぶのか利用者と呼ぶのか知らないけれど、引っかかれたり、排泄物を投げられたり、排泄の処理なんかもしていたらしいけれど、みんな可愛くて仕方ないとよく言っていた。あれこれと写メをみせられ、この人はこんな癖があって、いつもこんなことをしていると物まね付きで解説し、この人たちに感情はあるのか気持は通うのかと冷たいことをいう私を叱りつけて、どれもみんな個性と単なる癖なのだと力説した。○○ちゃん、□□ちゃんと呼んでいるので、子供たちかと思っていたら中年や初老の人たちが多かった。この人はいつもうんこを隠し持ちたがるから注意しなきゃいけないんだよねー、この人は雷が鳴ると大暴れするから、雷カッコいいじゃんってなだめるとおとなしくなってさあ、といって引っかき傷を見せながら笑って言うのを、ドン引きしながら聞いていた。ああ福祉は才能だななんて、客観的に思うだけだった。


 思えば小学生のころには、母がボランティアで時々行っていた南千住のキリスト教系のホームレスの食事を出すようなところについて行っておじさんたちに可愛がられたり、登校拒否児の家に通ったりと、超わがままなくせに変な子だった。国際ボランティアがしたいと大学に入り、ボランティアサークルを立ち上げて今では伝説の先輩になっているらしかった。妹とサークルを立ち上げた友人の一人は、大学に入学し会話を交わすようになったときに、「地雷撤去に興味があるんだよねー」とその重要さや現状について説かれ、見た目と言っていることのギャップに驚いたと言っていた。


 だから結局私は、妹が一体なんだったのかよくわからないのだ。ボランティアにそんなに興味があるなら、その湯水のごとき浪費癖を募金に回せばいいじゃんと思ったりしていたのだけれど、彼女は人を助けることで自分の存在意義を確認したがっていたんだろうか。よくわからない。10歳のころにはすでに知的障害者をかわいがる、あんなもんだったからだ。


 矛盾の塊ではあったけれど、たぶん妹は私が持たず育ったものを、生まれつきうっすらと持っていたのだと思う。信仰心じゃないけど、いかにもキリスト教的な博愛の精神かなんかそんなようなもの。煙草を片手にカクテルを飲みながら、「最終的に路頭に迷ったらシスターになりゃいいや」と笑っていた。妹のパソコンに残っていた、カナダの修道院でおばあさんシスターだらけのなかに唯一ひとりだけ、茶髪にパーマの若い女子が混じってかわいがられている様子は、本当に妙な風景だった。インドのマザーテレサの施設かなんかにも行って変な菌に侵されて顔がむくみきって、帰国後、感染症センターみたいなところに監禁されたこともあったらしい。


 よくわからないけれど、他人の弱さや痛みに寄り添おうとすれば自分自身も擦り減っていくんだろう。自分で自分さえ救えないのに、世界を救うことなんてできない。世の中のシステムは変えられない。できると思うのはそれは傲慢ではないかというと妹は大変怒った。変えられないけれど、末端で傷ついている人はいるじゃないかと言って傷ついたり責め立てたりしてきた。国際ボランティアで本気で生きようと思うには役に立てるようなスキルが足りないので、看護大学に入りなおそうかと最近は考えていたらしかった。


 妹がどうしてそんなにあれこれに胸を痛める優しい子だったのか、同じ親もとで育ったのに私には結局意味がわからなかった。他人なんかより、もっと自分を大事にして欲しかった。