昨日は打ち込み終えたらネットの接続が切れていて、ながながなが書き込んだのが消えてしまい、再度なんとなく携帯をぱちりながら寝てしまったんだけれど、昨夜私たち家族は葬儀以来初めて骨壺を開けて、骨を分けたんだった。

兄弟それぞれ、お気に入りの形を選んでは手でつまんで骨をいれてゆき、頭蓋骨の端をぱきっと割って蓋をし、密閉蓋を閉じようとしたら欲張りすぎて閉まらなくなったりしつつ、妹のハンカチで最後は綺麗に包んで各々スペシャルな手のひらサイズのマイ骨壺を制作した。うちに帰ったら可愛くデコってあげようね。


明るくて陽気でお調子者でわがままで甘え上手で自分勝手で、我が家のアイドルポジションをほしいままにしてきた。可愛いかった。悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい悲しい帰ってきてほしい。

人前で感情的な振る舞いを出せない性分の私の一番の理解者は妹だった。黙って観察して、何度だってすくい上げてくれたのに。


あの日、私は妹とメールを交わしていて、週末つまり一昨日と昨日の約束をしていたんだった。で、検死結果と履歴を擦り合わせた結果、メールのやりとりを終えた数十分後に決行したそうだ。
妹はその前日に、珍しく自分から両親に電話し、今後の予定を明るく話したそうだ。


携帯に残された優しい配慮に満ちた言葉がひどく悲しい。打ち込みながら辛かったろう。で、その後に残された本音の文章では、どれだけ苦しくて死にたいのかが綴られていた。
助けてあげたかった。本当に申し訳なかった。

この一年、私はしばしば妹から泣きながら苦しいと訴えるのを、なだめたり励ましてみたりもしてたのだ。でもでも、どこかで泣き言ばかり言っているから、ちょっとしんどいなあなんて思っていた。

助けてあげられなかった。ひどいことをした。つなぎ止めてあげられなかった。本当に申し訳ないことをした。本当に申し訳なかった。誰よりも寂しがりやだったのに、一人でいくのは心細かっただろう。かわいそうに。かわいそうに。助けてあげたかった。


私はもしかしたらこの春から東京に戻って、妹と広くて安いところを探して一緒に住もうかねなんて話していた。結局私は引き続き京都に残ったんだけれど、楽しみにしてたのに!と4月の頭に会ったときに言っていた。

妹の死語、沢山の友人たちが初対面の私を、「ああ、もにちゃん…」と妹が呼んでいたように呼んで、いつも話にはきいていたと言って泣いた。「もにちゃんと住むかもー」なんて楽しそうに話していたそうだ。本当に申し訳なかった。そばにいてあげればよかった。

どうしようもない喪失感と、実感のなさが混在している。寂しくてたまらない。こらえきれない。全部現実じゃないと本気で信じ込んだらなんとかなるだろうか。寂しい。どんな駄目人間でもいいから生きていて欲しかった。帰ってきて。帰ってきて。帰ってきて。帰ってきて。悲しい悲しい悲しい悲しい寂しいおいていかないで