両天秤のバランスなんだって

mxoxnxixcxa2007-10-26

 長く放置してしまうと、なおこと次どう始めていいのかわからなくなってしまって、どうしようと考えるのも困ってしまうし、放りっぱなしもまた居心地が悪く、どうでもいいことから始めてみようと日々を振り返っても、相変わらずやらんければいけないことを先延ばしにしながらリミットに首を絞められ、いけそうな気がするも同じくらいの不安に脅かされている毎日です今晩はもにかです。
 泣き言日記を最後に放置してしまい、しかもその泣き言も危惧していた事態に陥ることから何とか逃れたということで、首の皮一枚で、蜘蛛の糸一本で、絶壁に突き出た枯れ木の根に腕一本で、どこまでも水平線しか見えない海の上に浮かんだ板切れ一枚で、暢気に安穏とぷかぷかしているところ。
 いけないなあと思いつつ、どうも生来の気質なのか「いけそうだわ何かもう絶対に!」と「もうだめだ無理に決まってる」みたような感じが、絶頂と奈落が、うきうきと憂き憂きが51%と49%で綱引きをしていて、2%差で入れ替わって極端から極端へ上がって落ちてをしてしまう。なんとか顔に出さずに暮らすのは、社会性と処世術。だって大人だから。誰も他人の泣き言なんて聞きたくないのだ私だってそう。もっとフラットな人間を目指しているんだから。
 鬱気質を抱える友人を眺めて自分を確認してみるんである。彼女の躁状態はきっと、私なんかとは比べ物にならないほど上がっちゃっている状態なのだなと思う。でも50上がった彼女は必ず同じく50落ちて0地点のバランスを取るわけで、その間100。その点、私の上がり下がりなんてたぶんきっとプラマイ20程度で、ジェットコースター並みのどでかい上下運動の彼女に比べれば、私の上下の振り幅など40くらいのもん。ほほら、こうやってどうでもいいことを考えてみたら、色々なこともどうでも良くなってくるといいよね。このままぐっとフラットに近づいて、フラットな女になりたいのだ。
 傲慢な自信家とお喋りをしているとき。嗚呼この人はこの過信とおんなじくらい自分に自信がなくて、それを隠すためにこのやうにオレサマ自慢をせずには居られないのだな、とでも考えながらでなければ、とてもじゃないけれどうんざりしてしまうこの感じ。くうだらない自慢話も、必死でアピールせんければ不安になってしまうこいつの弱さなのだなと、勝手に裏を読んでいるうちに時間をやり過ごせるこの感じ。自分に自信のある満たされた人は、外に向かってボクのペースでボク話なんてしない。知らないことまで知ったかぶったりはしないんだから。世の中はあまねく全てが天秤でバランスを取っている、それがすなわち世の節理だって誰かがいってたんだけれども。強い光には深い影あり。そんなことを思い出しながらそういう他人のほころびを観察しても、私が理想の大人になれるわけでもないんだけれども。
 ああ某さん、オレ自慢やすごいボクエピソードのアピールなんかしないでお願い。尊敬できなくなるから。自分でアピールなんかしなくたって、もうみんな十分に某さんがすごいのは分かってるんだから。そういうとっちらかったことを書きなぐってシャワー浴びて映画でも観よう。