欲しいのは自己満足

mxoxnxixcxa2007-09-28

 トラックバックを頂いて、あまりネットで人様とコミュニケーションをとったりしたことがないので、どうしたらいいのかと思っていたところ、言及リンク大歓迎とあったので一寸思うところを書きたいです。何かこう、失礼な言い回しになってしまったら申し訳ないです。
死守.ver2「女子の生態から自由になりたい」に思う。
 結婚=女子の幸せではないと考える人間→負け犬の遠吠えと変わらないのでは?といったこと。男女の生態の違いというか社会的な立場の違いなのか、同姓であっても価値観は様々なのでこれは私の考えなんだけれど、結婚は得るものよりも失うものの方が多そうだな、というのが今現在の捉え方なので、それ以上のことは分からないです。若くして結婚・出産している子を見ると、余計なお世話なんだけれども、何だか勿体無いなぁと思ってしまう。そんな私も今ではいわゆる適齢期で、結婚していく人もいるけれど、私の周囲には自分の人生を当たり前のように謳歌している素敵ねえさんが何人もいて、彼女たちを見ていると、心底充実して生きてるんだなと憧れる。
 一般論でいけば、男性は自分のものを囲い込みたいという意識があるのかもしれないし、対する女性は保護され安心したい帰属意識というか、そんなことが結婚の根本なのかな。結局のところ、人間は死ぬときに満足して死ぬことが唯一の共通目的なわけで、幸せの形がひとつのはずがないのだ。日々の生活を誰かと同化して過ごすことが幸せと思う女子もいれば、時間を全部自分で使いたい、パートナーがいれば楽しいけれど、依存し合うのはちょっとなぁという女子もまた。
要するに、人間は男女共に自慢したい生き物」という旨があった。結婚相手や恋人をアクセサリーとして対外的な自慢のツールと捕らえている人は、確かにいるのだと思う。社会的な立場を重要視している人とか。でも恋人が欲しくなる一番の理由って、寂しさじゃないのかなぁ。クールなアクセサリーは、自慢したいから欲しいのじゃなくて、それをつけてクールな自分になりたいから欲しいって思う。「ほほら、自分のようなヤツでも、こんなオンナ連れてんだぜー?」と、ちょっとなんていうか、必要以上に相手の外見にこだわる人ほど自分に自信がなくて、その穴をお飾り的な恋人が埋めてくれると思ってるような気がしてしまう。自分に開いた穴を他人に埋めてもらいたいと願うことは、とても不毛だと思う。
 女は若さや容姿こそが価値とされる傾向にある浮世に身を置いている限り、ルックスの優劣はどうしても存在する。たぶんきっと、女の方が男に比べて着飾りたがる生き物で、それは特権でもあるのだ。服に靴にバッグにヘアスタイルにメイク。コンプレックスをカバーして、何か自分をちょっとだけいいものに変身させてくれる。あまり雑誌を読み込まない私が言い切ることは出来ないけれど、例えば“必見!これが最新モテ眉の決定版!!”みたようなシャレの利いたコピーと特集の雑誌を参考に頑張る女子だって皆、基本的に女の装飾願望は、自己満足が第一命題なのだと思う。可愛くなりたいの自分のために。悪くないなって思いたい。男に褒められるよりも、同姓に褒められるほうがずっと嬉しいし励みになるのだ。
 そりゃ絶対に男性にだって好感を持っていただきたいし、存在を尊重していただきたい。その方が日々の生活がスムーズだもの。モテって曖昧で良く分からないけれど、だれかれに好かれたいんじゃなくて、一人の人に愛されたいってことなんじゃないのかな。アイラインが黒でも茶でも、アイカラーが何色でマット系だろうがツヤ系だろうが、リップがパール系だろうがグロス系だろうが、異性どころか同姓にだって他人にとってはどうだってよろしいことだし。
 でもでも、服の色に合わせてバッグを選んで、バランスを考えて靴を選んだりしているとき、時々何か女子って楽しいなって思う。機能性も併せ持ちつつモノトーンを引き立たせるクールな差色のバッグに出会った時とか、良いポイント色になりそうな靴を見つけた時とか。日々の下着だって、誰に見せるわけでもないなら何だっていいはずなのに、増えていくのは好きな色ばかりだし、たかが下着がクソたけえなと思いながらもキュートなブラを買うのは、完全なる自己満足的アイテムだからこそ、クールキュートを身につけて何か自分がいいものになったように思い込みたいのだ。
「あ、なんか私、悪くないわ」って思いたい。むしろ、「あ、なかなかいいじゃん」って。容姿への執着から自由になりたいけれど、自由になったら乙女はおばさんという記号に変態するのだと思う。それが進化か劣化かはわからないけれど。どうせ執着が捨てられないなら、せいぜい楽しんだほうがお得なのです。