女子の生態から自由になりたい

mxoxnxixcxa2007-09-23

 リンク元で見つけたのは某ちゃんねるという仮想空間の悪の権化とされている掲示板の名の入ったURL。Wmotenaiとある。うわあなななにこれ…。もなかが晒し者になっているの?基本的に痛い子ちゃん炸裂でGOというのがもなかの立場なので、何だかもうマウスを持つ手が震えたんである。
 リンク先は「キモ○、ブ○と言われた人が書き込む」みたようなタイトルに、その昔、私がとあるブスについて文句を垂れたときのことが解説もなく貼られていただけだった。ああ、そんなこともあったよなぁと懐かしく思い出し、そこを覗いてみたれば少しく息の詰まる思い。モテない女を自覚する女子たちの呟きの羅列を、数々のお題その議論を眺める。優しくて空しい穴の中には、やる瀬無く切ない叫びがこだましていた。ああ、ああ。
 実際生まれ持った容姿が、残念な偶然の重なりによって大きく顔の造作がバランスを崩している人はいる。でもそのことで不幸になる人と、それ程でもないというか、不幸せにならない人もいる。長い乙女人生、何も恋愛だけじゃないと思うし、結婚=女子の幸せではないというのは、結婚願望のない女子の考えでしかないけれど。多分きっと絶対に、通俗的な顔面構成をしていても、世の理不尽や不条理は平等にのしかかっているのじゃないかしら。なんて、悲痛な叫びを眺めながら少しだけ思った。
 10人並の私が考えるに、多少通俗的なルックスをしていても、好きな人が好きになってくれないなら、満たされなさ加減は同じなんじゃなかろうか。綺麗な人が言うに、好きといわれても顔が好きなんでしょ、それって内面を無視されてるだけのような気がしてしまうと言う子がいる。私を好きになって欲しいって。顔が好みだと付き合いだしても、付き合ってみれば幻滅なんて話もごろごろしてる。コンプレックスから自由な人間なんていないのだ。綺麗な人ほど自己評価が低かったりもする。経年劣化の恐怖に慄いていたりもする。まあ自分をブスだと思ってる人こそ、プライドを高くして自分を保っているっていうのもあるんだろうけれど。そういう人の方が自身を含め、人の容姿に執着があるのは事実かも。
 顔立ちは骨格の問題なんであって、顔つきとは別。ウェットな女子の陰湿さは、たとえ顔立ちの綺麗な子でも口元や眉毛なんかに浮き出てくる。そりゃあ女同士の方がよっぽど、自分と無関係な女の容姿に対してはシビアで辛らつ。お前は他人事みたいに女子を語れんのかと脳の奥、右側で囁く声。そうよ、語れるのは私もまた女子の一員だから。ああでもわからないな。同性だからこそ、目の保養に可愛い子や綺麗な人が好きだよね。結局私も自他含めて容姿が気になるし、振り切ってしまえないんだった。やっぱり容姿は大切なのかなぁよく分からないや。ひとついえるのは、美人でもブスでも、感じの悪い人は嫌われるっていうことだと思う。
 そのように自分に言い聞かせるのは、私もまた女子だから。女子のねばついた生態と容姿へのこだわりから自由になりたいのジョイフルまみれで生きてゆきたい。自身の中で、自己評価が容姿にしか求められないことは不幸だと思う。この女子の生態の抱える不幸は、時に鏡の中の自分の姿を大きく歪めてしまう。その不幸に飲み込まれてしまったら、際限なく痩せたり、顔面工事にはまり込んだりして、ますます不幸になってしまう。一番の不幸は自分を許せないことだと思う。その所為で性格は屈折するわ、顔つきは暗く陰湿になるわ、万事にマイナス思考になるわで、そこにあるジョイフルさえも見落としてしまうんだから。