寿司喰って幸せしかし

mxoxnxixcxa2006-12-05

 母は明日帰るわけですが、本日、久々にお寿司というものを頂きました。本来なら私が娘として母に一席振舞うべきかもしれませんし、なんとなればお小遣いの金一封だって渡して差し上げるべきなのかもしれませんが、しかしてここは素直に親と子、という形式にのっとって、素直に甘えさせていただいたんである。カウンターで熱燗を傾けながら、値段を気にせず満腹になるまでって、いいなぁ。美味しいなぁ寿司は。酢牡蠣って素晴らしいなぁ、牡蠣は生に限るよね!
 と思ったら、寿司、たっけえ!すげえたっけえ!なんであの生もの、しかも一口でお口に収まる慎ましいサイズの、半分以上は米でしかないという代物があんなに高級なのだろう。日本の食文化って!京都で夜、豆腐づくしでも召し上がって御覧なさいよ!超ちっさいカウンターしかないお店で、京の味を堪能しようとでも思って御覧なさいよ、すげえたっけえ!
 例えば、レタス一個まるまる食べて満腹になっても、寿司で満腹になっても、もう喰えませんわという状態は同じなのに、ひゅーまんびーいんぐの食への飽くなき欲求って、なんていうか、なんだろう。生命維持だけでは満足できぬこの業。はは、高いものを食すとなんだか自分がいいものになったような気がするよ的な、意味が有るのか無いのか上手く言い表せぬ複雑な思いがする。でもでも、レタスまるまる一個じゃイヤなの。カップラーメンとかでも満腹感は得られるだろうけれども、何を摂取したって胃に入ればごたまぜになるって分かっているのに、なのになのに。
 で、お寿司は美味しかったねえなんか話しつつ家路に着き、アップルティーを飲みながら、フーコーはおかしい、己の思想のためにホモセクシャルにならねばならぬと思って同性愛になる必要があるのかとか、それってソクラテス裁判みたいに、頭を過剰に使いすぎて屁理屈の実践になってるだけですやんとか答え、しかし実はハイデガーは嫌いじゃないのだと言い出す母に、ああでもこの人ナチスが絡むからねとかって、表面的な知識で会話を転がした。で、シモーヌ・ヴェイユを読みなさいと言われて、一寸待ってメモるからみたいな。私は読むのかな…。
 ねえ、と私は顔も知らない誰かも知らない心の友に語り掛けたいの。私はいつまでモノを知らない教養の無いバカな娘で居続けるの?親子って、ある時期が来たら子が親を超えていかなきゃでしょ。まあ勉強が嫌いだった私が悪いんだけれども、頭が良くなりたい。教養が欲しい欲しい欲しい。じゃあじゃあ、もっと本読めよ、偏った読書を止めろよって話なんでしょうけれども、読んでで楽しくない本って、楽しくないので読みたくないんだよね。そこはバカなところだって言う自覚はあるんだけれどもね。ね。誰でもいいので、そうだよねって無責任に言ってください。バカはイヤだ馬鹿はイヤだ恥ずかしい。バカコンプレックスなので、「好きな男性のタイプ?何でも知ってる人」 「例えば誰?」 「澁澤龍彦。顔込みで」みたいな。
 で、で、寿司も良かったが、そば喰って残高で欲しかった写真集と本と本と本なんかを買っていただくのも有りだったかもなんて口走った貧乏性の娘は、「そんな貧乏臭いことを言うのじゃないわ、美味しかったんだからいいじゃない」と窘められたんだった。食って、なぁ…。別にいいんだけどね、欲しい本もあるからさあママン。