般若心経を知りたいの玄侑宗久

 なんごとか考え込んで無意味にゆんゆんするのも生産性がないので、こういうときには意味のない読書をしようと思って、母に持たされた新約聖書を読み始めてイラついて止めた。ページの半分が英語で半分が対日本語訳のやつで、英語の勉強もしなさいよという明確なメッセージを放つこの本を。
 なんだこの選民思想キリスト教ってヤダやだ。なに一人ヒーロー。かっこよすぎ。なに一人で背負い込んでんだっていう。というか、西洋って個を重要視しすぎなんじゃないの?デカルトが何だってんだ。自我の確立とか考えすぎじゃねえの?そんなに個であることは大事なわけ?世界は全て合理的に解釈できるものかしら?まあ私みたいなバカ女が存在とは何かを考えたってしょうもないよね。そういうのは頭の良い人が考えてれば良いわけ。
 この混沌からひとまず脱出するには、東洋思想しかないと思い、マタイによる福音書のページそのままに壁に放って、西洋様がやれ厭世的だ曖昧模糊だと切り捨てるものに眼を向けてはいかがなの?と思って、良い機会なので色即是空の精神をほんの少しでも理解してみたくなったんだった。私という存在は宇宙に漂う一粒の砂のようなもの。大きな流れの中のささいな塵芥。
生きて死ぬ智慧われわれはなぜ死ぬのか―死の生命科学 以前読んだ柳澤桂子の『生きて死ぬ智慧』がとても良かったので、ここは般若心経の凝縮された教えを紐解けば卑小な煩悩が消えるかしらっていう。水上勉の切り口はなかなか面白くて、「無といわれたって、ここにある苦痛は消えるわけじゃないじゃん」というのにほほうとうなずきつつ、瀬戸内寂聴はそうとう大したことなかった。なんなんですかあの俗臭みなぎる老女は。
現代語訳 般若心経 (ちくま新書 (615)) そこで忘れていたのが、私はけっこう玄侑宗久が好きで、小説はほぼ全部読んでいたんだったなぁと思い出し、最近やたら出しているノウハウ本に手を出してみようとこいつを買ってみた。この人は元々臨済宗の家に生まれて、坊さんになるまでかなりいろいろな職業を転々とし、悩みに悩んで最終的に家業を継いだ=僧侶になった人で、この人の小説は結構な理系人間な面が覗いていてい面白いんですけども、この本もまた、西洋哲学や老子荘子なんかも絡めつつ、私のようなものを知らない阿呆にも噛んで含ませるように分かりやすうく書いてあって、なかなかさくさくと読み進めることが出来るそういう感じ。なんか本当に文章がめちゃくちゃ。考えてキーボードを打つ余裕がないの。煮詰まるようそろそろ冷静になれよ
 私が読んだことがある小説はこのへん。この人は、僧侶という立場から、生きるとは何か、仏教思想とは何かということを考えている人なんだと思う。坊さんというと、なにか俗世から隔たった存在に思いがちなんだけれど、坊さんだって悩みをかかえて日々歩んでいる人間なんだなって思える。
中陰の花 (文春文庫)アミターバ―無量光明水の舳先 (新潮文庫)アブラクサスの祭 (新潮文庫)御開帳綺譚 (文春文庫)リーラ化蝶散華