天才じゃないなら努力の才能を持ちたいの

mxoxnxixcxa2006-09-13

 際限なくフォトショップで作業をちまちまちまちまちまちまちまちまやっているわけですけども、私の発想力ってなんて貧しいのだろう。そんな自嘲をこめて明日が見えません。結婚する気のない乙女一匹ですけども、私は果たしてある程度余裕のある老女になれるんでしょうかね。生きていくのって結局金だわ。そんな鬱々とした毎日です。あの人に負けたくない人よりいいものを生み出したい一番になりたいさすがだねって言われたいよくやったねって言われたい大丈夫だよって言われたい甘やかされたい際限なく愛を注がれたい存在丸ごと良しとされたい。私の内部はだいぶ醜いですな。古都がどうしたその辺に寺があるだけじゃん。どうして私はこんなテレビもない狭い部屋に一人ぼっちなのだ。じゃあじゃあテレビ買えよって話なんですけども、買えば大して身になる内容もない番組を眺めてぼーっとして時間を無駄にしてしまうので、やっぱりやめる。
 ここへ移住してから会った中で、もっとも素晴らしかったのは、あるテキスタイルデザイナーに会う機会があったことで、いろいろなお話をしてくださった中でも頭が下がってひれ伏したくなるくらいに恐れ入ったのは、華々しい経歴を持つ60代のその方は、20代の頃から毎日ずっと一日も欠かさず、はがきに一日一枚の絵を描いているということだった。
「よく続きますね。苦しくないんですか」と安易に口にした浅はかな人間に向かって、その方は「苦しいですよ」と言ったんだった。私はちょうどその頃もブラックホールに落ち込んでいて、もうだめだ私は何も生み出せやしない何てオリジナリティの希薄な人間なのだ生きてて恥ずかしいすんません。くらいにきていて、ひとに愚痴るのはあまり好きじゃないので一言だけ、「何も浮かばないんです。うんざりです」と呟いたのをその方は拾ってくださり、ご自身の離婚経験やもろもろの苦しい体験を語ってくださったんだった。
 私は絵は描かないんです。私が描くものなんて大したものじゃないし、だったら意義ある他人の絵をみて充足していたい。とのたまった傲慢な私に対して、いいや、一日一枚描いてみなさいと。「描くことがなにもない日も沢山あります。何を描いても、過去の自分のものの焼き直しなんじゃないかと思うこともあるし、こんなことして何になるんだろうとも思うけれども、描けなくてもたとえ線1本でもいいから、毎日自分と向き合うことに意味があると思いますよ」と。
 しかし難しいのが、絵を描いてやろう、ここまで描けるという技術を目指したんでは意味がないという話で、一日一枚のデッサンでは意味がない、自分と向き合いなさいと。しかして自分自身に耳を澄ましても、何も聞こえてこないんですけど。誰に見せるわけでないのに、なんでこんなこと!きー!みたいな。こんな苦痛しかない孤独な作業を40年間も続けられたからこそ、続けるだけの意思と努力を持ち合わせているからこそ、あの方は他人より何段も上の人間になれたんだろうなぁと心底思う。
 私みたいな凡人はついうっかり、非凡な人を見ると、この人の頭には天から次々とアイディアが降りてくるのだろうと思ってしまうけども、それってかなり失礼なのかもしれなくて、才能なんて言葉は言い訳で、結局人よりも努力した人が向上していくんだなと思う。わかってるわかってるんだけど、でも、いってみりゃそれだけのモチベーションを維持し続けられること自体が才能のような気もして、ついつい楽な方へと流れていきたくなってしまう。どうせ私なんか。みたいな卑屈な気分なので、日がな一日ぼーっとしていたい。でもたぶん、一日中ぼーーとしていたら余計なことまで色々と考えすぎて気が滅入って、ようし、思い切って死んじゃうか!みたいな方向に走り出さないとも限らないので、やっぱりやめる。
 一日一枚の実践?途切れがち。だから私はダメなんだ。他人に弱音を吐けない意地っ張りなので、もなかに穴掘って愚痴愚痴ぐちぐちぐちぐち。我ながらキモいですな。余計なことばっかり考えて動作が鈍くなるのも何もかも、結局原因は一つなんだよね。言いたかったのは一言なんだ。
寂しいよう