恋月姫『月の神殿』で乙女全開

月の神殿―恋月姫人形写真集 本日は本屋に赴き『人形月』をゲットに行きましたところ、置いてありませぬ。イケてない本屋だわ。わたくしは暮れ行く杏子色の空を眺め、小さな失望とともに一つ憂いなる溜息を漏らして、此方に手を伸ばしたのでございます。『月の神殿』。なんと美しい響きでございませう。
 わたくしは、『震える眼蓋』に一寸がっかりした口でございます。故にこの本は見送っておりました。『震える〜』は、余りにも特定の世界観を演出し過ぎる感を覚え、風景に人形が埋没している感じと申しませうか。押し込めているやうなと申しませうか。兎にも角にも、わたくしが恋月姫の人形の放つ崇高にして神聖なる冷たさに魅了されたのは、幻想の産物である少女の方が、本物の少女よりもより一層完璧な少女の概念の集積であろう、此れこそ少女の結晶、凝縮された少女の到達する最終地点に違いないといった部分でございましたので、シャム双生児やら、なにやらバテレン邪宗といった突飛な演出が、少々わたくしのこの可憐なお鼻についたんでございます。過剰な演出は無用です。少女は少女として美しく、可憐にして孤高である。此れが少女崇拝のキモですもの。
人形姫 (Spirits amuseum) 故にわたくしは、Ariel型の幼気で清純で妖艶で卑猥な魔性の少女に魂を抜かれた乙女なのでございました。この写真集は、わたくしの乙女史上、衝撃的な出会いでございましたの。以後、型が変わるごとに大人っぽく成って行くかのやうな人形に一抹の寂しさを感じつつ、しかして大人っぽく成り行く程に、その実、造形其のものは少女漫画化してゆくやうにも思われました。兎に角コンセプトドールは拒否いたします。
 しかしどうですせう、この写真集『月の神殿』。人形が人形其のものとして画面に収まる美しさ。見えぬ光背を纏った少女達は、作り込んだ背景など存在一つで吹き飛ばせるのでございます。嗚呼、浄化される。わたくしは浄化されてしまう透明になってしまう。そのやうに、何かこう己までもが耽美になって仕舞いたくなる、素晴らしい一冊でございました。
 嗚呼ああ透き通る。わたくしは万栄の古都の片隅で、小鳥のやうにぶるぶると身を震わせて居りました。これは亦も魂の震え。此れがあれば人形月は要らないかしらと思いもしましたが、否。欲しいよう。