じめじめと

mxoxnxixcxa2006-05-28

 昨年の5月、尊敬していた人が癌でいなくなってしまった。私はその人をとても尊敬していて、大好きだった。
 その人・以下Yさんの癌が分かった時には、もって3ヶ月から半年といわれた第4ステージだった。それでもYさんは結局1年9ヶ月、もったのか、頑張ったのか、戦ったのか、苦しんだのか、どんな言い方が当てはまるのかわからないけれど、私はゆっくりと弱っていくYさんを眺めながら、どうしてか絶対にYさんにだけは奇跡が起こって、ある日検査したら嘘みたいに癌が消え去っていて、医者を驚かせるに違いないと本気で思っていたんだった。
 Yさんと最後に出かけたのは去年の桜の時期で、Yさんが輸血で劇的に体調が良かった日*1に行ったお花見だった。今年私が桜をやたら見てまわったのは、1年て早いなぁと思ったから。ものすごく昔のことみたいに思える。なんとなく過ぎていったはずなのに、たった一年で物理的にも心理的にも、色々なことが変わっていく。
 車しか走っていない京都の並木道を散歩しつつ夜桜を眺めながら、Yさんが穏やかに言った、「もうちょっと長生きすると思ったのになぁ」という言葉が浮かんで消えた。そのときは強引に笑って「大丈夫だよ」と無責任な虚しいことを応えたけれど、誰がどう考えてもYさんはもうだめだった。何か特別な奇跡が起こるんじゃないかと思いつつも、Yさんが皆を置いて行ってしまうのは、そこに居る全員がわかっていたんだった。
 Yさんが死んでしまったら、多分悲しすぎて立っていられないんじゃないかと思っていた。もっと訊きたいことが沢山あった。教えて欲しいことも、たしなめて欲しいことも山ほどあった。私がどれだけバカでも、Yさんはいつも優しかった。そうしてYさんが死んでしまって、しばらく泣き暮らしても私は立っていられたし日々の雑事だってこなした。思うよりも人間は案外強いわけで、1ヶ月2ヶ月経てば、Yさんのことを考えない日も増えた。それで1年経って、Yさんのことをほとんど考えなくなっていることに気がついた。
 桜が咲いて散って、虚しいなぁ人生は。Yさんはどこへ行ってしまったんだろう。生きている人間が死んでしまった人のことを忘れたっていいのかも知れない。忘れるといってもYさんの存在自体をというんじゃなく、Yさんが死んでしまったということを。Yさんが生きている時だって、私は四六時中Yさんのことを考えていたわけじゃない。ただ今は、会いたいなと思っても会えないってだけなのかも知れない。悲しさを背負い続けては生きていけないし、自分もいつか死んで誰かに忘れられるのだ思っても、儚いなぁ人生は。日々懸命に生きるべしと思えど、最終着地点は『満足して死ぬため』ですかそうですか。何のために生まれてくるんですかね。と脳内小人がほざきそうになります。
 私自身は、死んだらもちろん無になると思うし、死後の生なんてとんでもないわと思うんだけれど、Yさんは絶対にどこか楽しいところで幸せにしていて欲しい。それで、そこから見ててくれたらいいと思う。そういうことを考えるのはテレビもないし、疲れているし古都で孤独を感じていますよということかしら。おうおう

*1:末期がん患者は貧血状態になるので、輸血をするとごく一時的だけど劇的に元気になる。がしかし、その後にはその反動でぐっと悪くなる。