アンタッチャブル

mxoxnxixcxa2006-05-27

 この辺のアンタッチャブルにタッチするのはどうなのか、よく分からないんですけれども、転居に際して京都で部屋探しをしていて、何となく、「○○あたりで探しているんですけど」と言ったら、不動産屋の兄はんは言葉を濁らせた。「あのう、もにかさん、京都は詳しいですか?」 「え?金閣寺は北西で、銀閣寺は東とか、そんな程度ですけど」 「あまりおすすめしません。というか、探してもあまり物件はないです」と。
 京都にはアンタッチャブルな問題があるらしいと、うっすら知った。私は関東育ちで、成人して関東文化圏以外に触れて始めて同和問題という言葉を耳にしたくらいで、私が特に無知だったのか何なのかその意味も良く知らず、地域差別というと、ダサイタマ・チバラギとか、そういう何かこう、東京近辺にはびこる主観的な特権意識みたいなものなのかと思ったくらいだった。のんきに育ったのだった。
 関西から西では必ずこの問題を、小学校の時分から道徳の時間にやると知ったのは数年前。知人が福岡に引っ越したときに、近くの小学校に「なくそう差別」「考えよう同和問題」とあって、同和ってナニ?と福岡人に尋ねたところ、それはアンタッチャブル。問題にすべきではない問題ゆえに、「あまり言うべき事ではないから…」と、口に出して明確に説明してくれる人は居ないらしかった。だから知人も、何年たっても実態が見えないと言っていた。これって幻なんだろうか。誰がどこを差別しているのかも分からぬまま、年に何度か「差別を考える習慣」のノボリがはためき、これといって一般人には何事もないままに取り払われる。
 どこが差別される地域なのかも分からないのに、差別をするなという言葉が踊る。私の知らない世界では色々なことがあるのだ。でもでも、差別の実態を知っている人と、何がなんだか分からぬ私のようなお馬鹿さんと、いったいどっちが多いのだろう。どこに住んでいようが関係ないと考える人のほうが多いんじゃないの?と思う私はのんきな世間知らずなのかも。けれど、世にはびこる世間知らずにさえも差別の存在を知らしめて、誰か何か得でも?そっとしておけばみな忘れていくことなんじゃないの?そういったことを教える地域で育たなかった人間の見当違いな考えなのだろうか。これは寝た子を起こす行為じゃないのか。と思って、この人ならまず大丈夫だという大人に、様々な見地から教えてもらった。
 ああこれはアンタッチャブル。根が深すぎる。もう二度と口にするまい。人々が口に出して話さないわけも、差別がなくならないわけも、無限ループのアンタッチャブル。差別スパイラル。社会は複雑だ。京都という土地のまばゆい光は、それ相応の濃く深い深い影を持っていたのだった。一癖も二癖も三癖ある土地ですな。でもよそさんには関係のないことじゃないの。知らなきゃ良かった。何も知らない子で通します。