少女映画『キャリー』

mxoxnxixcxa2006-03-11

There’re all gonna laugh at you!
 ブライアン・デ・パルマというと、私なんかはもう何が何でも『キャリー』を抜きには始まらず、語ろうと思えばいくらでもキモ長く熱くなるわ!という作品です。生まれる前の映画でありながらちっとも古臭くなく、むしろこれは不朽の少女映画。どうしてホラーのくくりになっているのか、これは本当に身を切るような悲しい青春映画なので、もしも未見の乙女がいたなら是非とも観てください。
 簡単に言えば、こいつは学校での虐めと母娘の不毛な関係が主題で、人に笑われることや、多勢からの望まぬ逸脱、理解者の不在、母親から浴びせられる呪詛の言葉。これらが思春期の少女をどこまで追い詰めるかという映画。
キャリー [DVD] 冒頭は体育の授業か何か後の、主人公キャリーのシャワーシーンという本来ならご馳走ショットのはずが、キャリーの股間から血が。ななななにこれ!と泣き叫んでうろたえるキャリーをクラスメイトは大笑いして虐める。どうしてキャリーが初潮という一大事を知らなかったのかといえば、母親が己の女性性を肯定できないでいる女であり、娘が女になることを許容できない女だから。母親は夫に捨てられるか何かをきっかけに狂信的なキリスト教信仰に逃避して、禁欲的な生活をすることで、その事実を正当化しようとしている。純潔こそ美徳。娘も純潔であるべきだ女になる必要なんてない。清らかな心でいれば、それはかなえられる筈だ。思いつめるあまり娘に生理がやってきたことさえ許せず、娘はがんがん責められる。
何で教えてくれなかったのよママ恥ずかしかったじゃない!」というキャリーちゃんの訴えも、「おまえは淫らな事を考えるから女になってしまうんだよ!祈りなさい神に!」という理屈で押しつぶされてしまう。完全にいかれた母の本気具合が悲しいのだ。この辺のくだりはあまりに痛ましく、哀れな母親と可哀想なキャリーちゃんが辛い。こんな極端な形ではなくても程度の差こそあれ、少女が初潮をみて女となっていくことは、多少なりとも母親を失望させるものなのだと思う。私自身もそんな空気を肌で感じて居心地が悪かったし、セックスを覚えていくことには冒険心と同じくらいに後ろめたさもあったのだ。母親との関係は最悪で、恋人を作れば汚物を見るような目で見られたし、そのことで衝突もしたんだった。
 とにかく異常な家庭に育ったキャリーちゃんは当然学校でも浮いてしまい、嘲笑され馬鹿にされ、変人扱い。ぷっアイツなに?だっさーいクスクスクス…。誰かを傷つけてやろうという時、真っ向からイケてないところを指摘してあげるよりも、ひそひそ笑いで取り囲んで晒し者にし、針のむしろに追いやるのが一番プライドを深くえぐって人を傷つける。この映画の主人公キャリーちゃんは、毎日がこれ。学校では晒し者の変人。家では強圧的な母親に個性も主張も押しつぶされる。どうしようもない立ち居地に身を置きながら、それでもキャリーちゃんがどこか清らかで美しいのは、自分の未来に対して何らかの希望を抱いているからで、そんなキャリーを演じきったシシー・スペイセクは本当に素晴らしかった。
 ある日キャリーちゃんは素敵な男子に話しかけられ、プロムパーティーに誘われ、華やいでぐっとかわいくなる。そんな汚らわしいものには行かせない!という母親に真っ向から対立し、パーティーへ。「私はママとは違うのよ!」 これがキャリーちゃんのチャンスだったのだ。ねばねば絡みつく悪い母を振り切って逃げる、母と自分自身を切り離して一人の自由な女になる絶好のチャンス。しかしそんなささやかな希望も、パーティーでの残酷な仕打ちで砕かれてしまう。
 豚の血を浴びて硬直したキャリーちゃんの、緊張してこわばった表情とぎこちない佇まいは映画史に残る名シーンだと思っている私は今日も今日とてかなりの痛い子ちゃんなんですけれども、この時のキャリーちゃんは10代の私にとってアイドルだった。ダサいと思われたくない一心で必死でギャルになり切っただけの少女だったので、本当は笑われているのじゃないかしら、私はイケてないと思われているのじゃないかしらという猜疑心と恐怖心でいっぱいいっぱい。思春期の乙女なんて被害者意識の塊みたいなもの。いじめられているわけでもないのに、キャリーちゃんにものすごく共感していたんである。
 映画では、傷ついたキャリーちゃんがすべてを焼き尽くして、母の元に帰って行く。しかし抱きしめて欲しかった母にも拒絶されたキャリーちゃんは、もう何の光も抱けなくなってしまう。以降の入浴のシーンも、母親を抱いて逃げようとするシーンも、もうなんだ、千切れるような切なさがこみ上げる。母親という悪しき化け物。それでも愛し求めてしまうキャリーちゃんの怯えた目は、何度みても何度みても胸にこう、ぐっとくるよ。
 映画『キャリー』ちゃんは、思春期の真っ只中にいるか、もしくはかつて思春期であった人間のある部分をちくちく突付く。ダサい・クサい・キモい。この3大爆弾が自分に向けられるのを回避すべく思春期の少女は必死こいておしゃれに励み、流行にある程度乗っかり、恋人を作って、大人に憧れたりする。お化粧をして、女になってきた体を意識し、脱処女へ焦りを感じたり。キャリーちゃんにはなりたくない逸脱は怖い。そうして母を一度踏み倒したうえで、女対女という形で和解しなきゃいけないのだ。
 だから思春期の少女の業みたいなものを、もうどこまでも極端な形で背負い込まされたキャリーちゃんは、私にとってどうしようもなくいたわしくて愛しくて、こうまでキモ長く続けて言いたいのは、『キャリー』は不朽の少女映画の傑作だよねということでした。ラストのあのシーンは、ひゃあ!と叫ぶものの、あってもなくてもよろしいよね。

  • carrieちゃんサイト Carrie: The Movie いきなりキャリーちゃんが「There’re all gonna laugh at you!」と叫びます驚かないでください。
  • CarrieちゃんTrailer Trailer: "Carrie" をクリック。CM後にスタート。しかし冷静に見れば映像感覚は少々古いですね。