京都ああ幻想の京都

mxoxnxixcxa2006-03-02

 京都その響き。何だかはんなりしていて、古き良き美しいものが全て生きていそうな日本の誇り。日本に住む日本人にとってさえ、京都はオリエンタルジャパン。神秘の京都。そうだ、京都行こう。修学旅行には京都。大人になれば日本文化の再発見に京都。失恋すれば独り京都。定年後には夫婦で京都。親友乙女二人旅で京都。脱日常には京都。何か自分を良いものにしてくれそうな気さえする。そうだ、京都行こう。幻想の京都へ。花の都へ。万永の古都へ。伝統の残る美しき都へ。
 何かこう、「京都へ」というとちょっとよい旅よい気分みたいな認識が、非京都人の特に乙女にはある程度共通していて、「ちょっと京都へ」 「じゃあ、ようじやの油とり紙買ってきて」みたいな会話も常套句のようなもの。「なんかいいよね、京都って」。
 そんなこんなで着物ブームの昨今、キモノに興味がある乙女なら、京都のアンティーク着物ショップというと一度は足を運んでみたい場所。べつに地元付近のお店でもいいんだけれど、そこは「京都」とつけば何やら特別な響き。だって京都でしょ、みたいな。ポップにKIMONOなんかじゃなく、そこは正統派にはんなりと着物。京とはそういう魔力を持つ言葉。
イケズの構造 時間があったら、京都では是非とも中古の着物屋に立ち寄りたいなと思いつつも一度も行ったことがないのは、私にとっては幸福なことだった。良かった正解だった。私はこの本をバイブルに、暇があったならこの内容の重要なポイントを箇条書きで広告の裏にでも書き出し、トイレの壁に貼って毎日眺めては数々の戒めを肝に銘じてみればいいと思う。こいつは本当に、読みながら何度か本気の涙が溢れそうになり、京都人のその恐ろしさに戦慄を覚えて「ああ、知らなきゃよかった…」と苦い思いをする一方で、しかし読んでよかった。必要な知識満載なのだった。
 京都という名の幻想に憧れ、京都に赴き、情緒いっぱいで京都で買い物をしようというとき、私を含むよそさんは是が非でも心に留めていかなければいけないことは、京都人の吐き出す言葉な訳で、例えばキモノとか何でもいいけど体に当ててみて、お店の京女がこう言ったとする。
あらまぁ、お客さんは個性的やから、なんでもよう着こなしはりますわぁ」 これを言われたら、「美人でもなく若くもないアンタはんは、なに着たって同じやわ」ということ。「ああ、よろしいなぁ」は、「おまえはどうでもよろしいわ」。覚えておきたい京都人の言い回しの一つ。
 よそさんにとって、一般的に客商売というと、売る側が何かこう、口から出任せを言ってお客を気持ちよくさせ、一つでも買ってもらおうと思っているのでしょ、その手には乗らないわとかそういう姿勢が必要かなと思っている節がある。しかし京都は外国なのだ。「えらいすんませんなぁ。うちにはおたくはんに売らせていただくものは置いてへんみたいですわ。また寄って下さいね。今後とも御ひいきに」とかなんとか言う。「物の価値を知らへんようなお人には売りたないわ」という姿勢。
 これは基本らしいのでよそさんで京都で買い物を、という乙女は何を買いたいか、どんなものを探しているのかの具体的な意思を明確に持っていようがいまいが、イケズの旋風に襲われるみたいです。どうすれば避けられるのかはわかりません。基本京都人はよそさんを見下してる。私はすっかりひねくれたので、そう思うことにしました。見下されてもバカにはされぬように、賢くなりたいです。
 京都それは日本が世界に誇る大和文化の結集。幻想の中の京都って、どうしてこんなにはんなりと眩しいのか。一体何がこんなに京都を持ち上げたんだ。「なんかいい」のだ京都は。もう実態を見失うくらいに美化されて神聖な場所となった京都をここまでにしたのはなんなのだ。そうして私はこの前も京都の古い町並みやお寺さんを眺めては、「ああ、いいなぁニッポンは」とかなんとかほざいたのだった。ああ京都。私もみなも憧れる。そうして拒否られる。