無宗教国の幼児洗礼者

mxoxnxixcxa2005-12-26

 聖夜にかこつけていつもより高級なものを食べ、普段とは違う性交をというのも享楽的でイベント好きな日本人らしいし、どうせなら楽しんだほうが得。それでもこの時期その日になれば、ああそうだった。自分はカトリック教徒でありましたよと思い出して、なんともいえぬ気分になる。小学校の間までは日曜日ごと教会に連行され、退屈な小1時間ほどのミサをぼんやりと過ごし、毎土曜には教会学校に赴いていたよ。
 例えば欧米のように国家の根本たる道徳や思想の支柱に宗教がある国は、反抗期=反キリストすなわち悪魔崇拝みたいな図式が成り立ちもする。キリストなんてだせーよ悪魔の方がいけてるし黒魔術って何かかっこいーぜ!みたいな。しかし日本のように道徳的基盤が「お天道様に申し訳ない」などいう極めて感覚的であやふやで、それさえも崩れ去り宗教観ってナニ?みたいなお国に住むカトリック教徒は、一体どうやってのりきったのだろう。私はダメ。脱線組。
 サンタさんは居ないと知って以来、まず旧約聖書の話は穴だらけだということを怪しみ始めた私の反抗期は、アンチキリスト者として神の存在を全否定し、母の信じるもの全てを拒否するという形で発露した。
 当然ながらお気楽な無宗教国家に仲間となるべきアンチクライストが身近にいる訳もなく、さらに神を信じぬ子供には悪魔の存在も信ぜられず、ただひたすら非科学的だ、排他的だ、絵空事だと否定し尽くす日々。なんでも押しなべて、神の名の下に一元化してしまうようなキリスト教の屁理屈を軽蔑しつつ憎み、大いにスーパーヒーロー・キリストを蔑んだ。ナニ1人でかっこつけているのだ。自分だけ特別製だなんてずるいよ!そもは人間の大元は猿。アダムもイヴもいやしないのだ。そんなものにすがる信者もみなバカだと思っていた。
 神の存在は人類史上最も優れた発明なのだそう。理由が欲しいと願うのも、困難な状況下で支えを欲するのも、何かを信じるからこそ乗り越えられるものがあるんだというのも、何か大いなるものの前に己の小ささを自覚することで傲慢さを捨てるというのも、ありだと思う。理想的。信じればそこに救いを見出せるのだ。怪我をしたり疲れたりしたら、杖があったほうが歩きやすい。杖の種類はいくつもあるし、それを持つ持たぬも自由。
 大人になり寛容の精神でもって宗教そのものは尊重しているし、何かを信じることを否定はしていないつもり。それでもキリスト教の精神は受け入れ難いのだ。やたら選民思想的に感じる。心が閉じているからかしら。人間の反応は関心を持つか無関心であるかと思えば、強い嫌悪感に縛られているうちは、多分きっと結局私はクリスチャンなのかもしれなかった。
 そういいながらも聖夜には久方ぶりに教会に出向き、懐かしく賛美歌を歌ってしんみりした気分。未だに「主の祈り」も「めでたし」もそらで言え、ミサ中のやり取りも自然と口をついて出る。オルガンが流れて、意味も分からぬまま丸暗記した言葉が自動的に口をついて出る。
 何だこれは反射?と思いつつ、なんとなく胸の辺りにぎゅっと来る。神様と和解しに行ったんじゃない。傲慢さを捨て謙虚になろうと決心したわけでもない。見失った幼少期を懐かしみに行ったのだ。
 いつかもしかしてすっ転んで痛手を負って駄目だ立っていられないというくらいのダメージを受けた折には、ここに帰ってこられる。だって神様は諸手を広げて待っていてくれるんでしょ。私は妙ちきなカルトに引っかかって大金を巻き上げられる心配は無いのだ。神父の説教を聞きながら、それだけで十分有難いのだわとしんみり考えた。それとまあ、キリスト教も教えそのものとキリスト教教会とは切り離して考えたっていいんだろうけども。権威主義にグロリア、インエクシエルシスデオ。意味も知らぬ言葉。ああマラナタ。
 ジャパンは無宗教国家なんだから、何も問題を複雑化する必要はないんだけども。ジャパンで純粋培養のクリスチャンは育成可能なんだろうか。単に私がひねくれ者なんだけどね!キリエ・エレイソン!