サンタはいなかった

mxoxnxixcxa2005-12-25

 人様のサンタエピソードを聞くのが大好きで、サンタは居ないと知った日の話は誰のを聞いても面白い。子供時代に聞いた害のない甘い嘘は、どうしてこうも郷愁を呼んで胸の辺りをこう、ぎゅっとするんだろう。おお。
 私がサンタが親だったと知ったのは多分小学2.3年生の頃で、それまでは胸躍らせながら、あれ、頼んだものと違うな…と思いながらも、胸躍る朝を迎えていたのだった。用意していた紅茶のカップは空になってクッキーはなくなって、みかんはわざわざ律儀に皮が残されて「食べましたよ」というメッセージを発していたし、なんといっても英語の筆記体の手紙に説得力が溢れていのだった。
 しかし幼心におかしなほころびも見つけていて、例えば何故に母親だけが「サンタさんに伝えておく」ことが出来るのかとか、友人の家に「サンタは用事があるから2日遅れて来た」りするのかとか、煙突がないことをいぶかしめば「浴室の窓から入ってくる」だとか、本当に世界中の家に一晩でいけるのかと聞けば「サンタは何でも出来る」で片付けられるのかとか、詳しく突っ込めば「早く寝なさい」と逆切れされるのかとか。サンタに言及するとあまりに反応がしどろもどろになるのをおかしく思い、ある日カマをかけて白状してもらったのだった。「みんなには黙っておきなさいよ」と言って父は困った顔で笑った。
 みんなで飾ったクリスマスツリーとキャンドルでの食事とクリスマスの朝。ああ…。どうして郷愁まみれで見つめる思い出はあんなに甘くて幸せそうなんだろう。おお。輝かしい子供時代が胸に染みるだなんて、年をとったのかしら。
 よくよく思い起こせば、子供時代なんてそんなに大人になって思い出すほどには幸福いっぱいなもんでもない。早く大人になって自由になりたいと思っていたのだ。それでもなんというか、甘くて優しい嘘を思い出すとしんみりを通り越して何かこう、何かが込み上げるよ。この込み上げるものって、悲しさや寂しさに似ているよね。
 私はあの頃、大人になったら何もかもが上手くいって、もっと素晴らしく胸躍るものが待っていて、自分はもっともっと何か良いものになっているはずと信じていたのだった。どうだいこりゃ。大人になって知ったことといえば、思ったとおりに事は運ばない、願ったとおりに生きられるわけでもないということくらい。上手くいかないことのほうが圧倒的に多く、擦れ合って疲れることのほうが多い。思い出ばっかりがどんどん美化されて鮮やかになっていく。
 それは郷愁という名の幻想よ、つかまると苦しむわよと脳内小人が言うのでもうやめにする。