眼鏡屋で講義を受けながら、空気を読むことについて考える

mxoxnxixcxa2005-12-22

 眼鏡屋のお兄さんは、ここぞとばかりに専門知識を私に授けてやろうと、視力矯正の理想についてながながながながなが講義をしてくださった。
 0.0いくつかの視力を1.0に矯正するという発想は間違いで、どこにピントを合わせるのかという調整の問題だと視力矯正の哲学をながながながながなが語る。
 -0.45の場合がどうので、-0.35だったらどうだとそうして人間の脳の適応力についてや、度数を落とすことは矯正力を落とすという発想ではなく問題はどこに数値をあわせて調整するのかと言う話であり、近視は老眼になりにくいという流言の愚かさについてや、それにまつわる正しい知識、遠視と老眼について、むしろ老眼というのは一種の現象であり、モウヨウタイがどうにかなり、今こうこうこのように調節してしまうと、四十五十になった頃には、マイナスナントカで調整しても物足りなくなってしまいます。ですからそしてそしてそして…。
 あ、そうか。きっとお兄さんは一体どこで講義をやめてよいのか、どのへんで切り上げようかタイミングを掴めないでいるのだな。きっと目の前のお客は目と眼鏡の矯正哲学について非常に興味があり、そのリクエストに答えようと責任を感じているに違いない。
 ここはひとつ、それには及びませんよ、もう十分わかりましたよと伝えて彼をアツい責任感から開放してあげたく思い、合間に何度も「あ、じゃあ分かりました」と笑顔で挟み込み、それとなく講義を終えるきっかけを作ってみても、彼は無視をする。長い講義は終わらない。何度「ああ分かった分かった」と二回繰り返そうかと思ったか。「はい」を「はいはい」に変えようかと何度思ったか。
 元来私は文系人間の有難い屁理屈はイヤだけど、理数系の薀蓄の垂れ流しを聞くことはさして苦痛ではなく、むしろ自分には到底理解できそうもないこと、例えば「E=mc2乗」とタイムマシンがどう関係があるのかとか、数字世界の美しさなどを熱く語る男子は何だかキュートだなと思うんだけれど、彼のこのマシンガン講義。「へえ、わあ、すごい物知りなのですねー!」と感心してもらいたいのかしらと思い違いをしてしまいそうだった。
 これはなんだ、知識の披露によって口説かれているのかと危なく錯覚してしまいそうなくらいに、素人が聞いたところで目からうろこを落とすにはあまりに難しい論理。とにかく彼が懇切丁寧に真心を込めて、私を説得してくれているのだろうなということだけが、最終的には分かってきた。この度数は合っていると。小太りの彼は一途に一直線なのだ。キュートな男なのだ。彼は眼鏡のスペシャリスト。知識の披露によってお馬鹿な女子に知恵を授けて優越感に浸りたい男とは違うよねわかってる。軽く20分ほど講義を受けたから分かってる。
1.2週間使えばたいていは慣れると思いますダメなら簡単に弱くも出来ますが、いや度数を落とすことは簡単ですしかしこれはあなたの目に最も適した眼鏡なんです理屈の上では。お兄さんはこれが言いたかったのだと思う。わかったわかった。使えばいいんでしょ。ちかちかしても気にすんなってことなんでしょ。