スタートライン涙のスプリンター

シュンにとって、走ることは、生きることなんだ!」しみた。すごい直球だ。ものすごくどこかで聞いたか見たことがあるよ。愚かな視聴者たる私にとって生きることなど、食べることと眠ることの維持程度のことでしかなかったよ。
 ああ私は輝いて生きていなかった。そんな緩い日々を送る我が身を大いに恥じ入り、泣きながら反省しつつ見るべきなのだと言い聞かせて踏ん張った。たちこめるこの熱気は何かしら。それなのに、酷く寒いのは今年が特に冷え込む冬だからに違いない。
 障害者と非障害者はどうやって向き合っていくべきかを投げかけるのなら、山田さんが不治の病になる必要はあるのかとか、パラリンピックを目指して障害者が障害をものともせずに輝いて生きていることを訴えたいのなら、何もGUIDEたる山田さんが不治の病になる必要はなさそうだとか、難病の延命をしながらの割にはマッチョで丈夫そうだとか、そもそも片親と同居の身で闘病を隠しおおせるものなのかとか、孤独に戦う難病治療の診療費やお薬代はどうしているのだろうとか、そういう些細なことに突っ込むくらいなら観なきゃいいわけで、力業を上げ連ねればきりがなくてもこれは御伽噺なので、目くじら立てるほうが無粋。だから可愛い視聴者として澄んだ心で見守り、何事にも突っ込まない。どこで泣いたら良いのだろうと考えているうちに終わってしまった。
 え、あれ?このご都合主義は何かしら私の思い違い?ダメ要素を一緒くたに煮込んで2時間弱にぎゅうぎゅう詰めたこのドラマは一体何の目的で作られたのだろう。すごかった。私は結構山田孝之さんが好きだったはずなのに、見ながら始終「ああ早く終わんないかな」と思っていたのだった。ラスト30分が特にきつかった。心の淀んだ、汚れきった私の目には美しすぎるこの世界が非常に辛かった。おいおい泣き喚く鈴木杏をみてうるせーなとしか思えない、そんな非情で血も涙もない自分にショックを受けた。
 こんな安易な絶望に共感して、こんな安直な希望に励まされるくらいなら、人生はもっとシンプルで楽ちんのはず。こんなに簡単に誰とでも心が通うなら、浮世はもっと暮らしやすいはず。じゃあお前はなんだ、何事か書けるのかという意見が頭の中で響きつつも、この脚本を書いた人には才能とかってあるのだろうかという疑問がよぎった。「原作を読みましたが酷いものでしたよ」と以前教えてくださった方が居たけれど、本当にその通りだったので驚いた。
あの金を鳴らすのはあなた」には圧倒されましたよ。アッコである意味が分からなかったので、ああそうか、ははぁこれは難解なつぼ押しだな、と理解した。総じて置いていかれっぱなし。(財)日本障害者スポーツ協会日本パラリンピック委員会推薦ドラマをみて感動できずにこうやっていけずな事を考えている私は、とても卑屈で穢れているのだと知り、ひどく悲しい気持ち。