タリちゃんやっぱり気になるよ

 捜査員を「おまえ」呼ばわりしちゃうエラそうなタリウムちゃんにやっぱり興味があるので、あちこちまとめサイトとかに行ったり、話題になっていた『絶望の世界』のキャッシュを読んだ。これは主観のみで書かれているためについぞ引き込まれるような構成になっていて、さらっと読み進んでしまう割には随所に仕掛けがあったりしてすごく巧く出来ている印象。過剰な感情表現も、これがセカイ系かぁと思わせる説得力がある。いじめられっこが一人称で内面を吐露しながら、いじめっこに仕返しをし、自己正当化しながらパワーアップしていくのだ。その実どんどん壊れていくんだけども。上の段に話を限っていけば、とても孤独で、屈折していて、不器用で純粋で切ない「僕」が、感傷的でありながら常に僕自身を客体化しているような文章になっている。
 本当にタリちゃん日記の文体と似ていて、それどころか、タリちゃん日記で気になっていた文章、
僕の中に居る彼女の存在を感じなくなりました。消えてしまったのでしょうか」というくだり、こいつが本文では、
僕の中にいる虫の存在を感じなくなりました。消えてしまったのでしょうか。」なんていうそのまんまの形で出てくる。シンパシーやらカタルシスやら手垢のついた言葉ががんがん思い浮かんだ。タリウムちゃんを知りたい私はこの日記小説を読んで勝手に納得したのだった。
 少女のもつ夢見がちな世界観や、少女性という響きが喚起させるある種のイメージにものすごく興味があるんだけれど、報道だけだとタリウムちゃんはまったく掴めない。けれどやっぱりタリウムちゃんはコピーキャットボク女なんじゃないかしらと思う。誰にもかまわれない女子が独りくさくさポイズンヒーローに憧れ、毒物を手に入れることで力を手にして自分の中でレベルアップを図り、大好きなお話の主人公に自らを重ね合わせて仮想空間で何者かに成りきる。「わたし」のままだと弱くて孤独な少女でしかないけれど、なれば理想の「僕」になればいいじゃんっていう。多重人格を疑う意見を良く見かけるけど、変身願望なんじゃないかしらと思う。