ボク女のキーワード編集をして教えてください

 私はなんだかボク女が何たるかをよく理解していないのかも知れず、随分前に見た自殺サイト関連のドキュメンタリー番組で、30代の主婦が子供までいるくせに幼女の頃からずっと死にたいと思ってますと胸を張り、原稿用紙何十枚にも綴った怨み節「ボクポエ夢」を泣きながら読んでいて、「お母さん、ボクはいらない子ですか、どうしてボクを愛してくれなかったんですか」みたいな凄まじい光景を見たときに感じるある種の嫌悪感。
 これが自分ワールドに生きるボク女の極まった姿だと思い込んでいる私の理解は違っているのかも知れません。「ボク女=強力なナルシシズムを発するやや病んだ子ちゃんが自己表現する際に用いるセンチメンタルな別人格」、という思い込みを持っていますと断った上で思うのは、そもそも女子がわざわざ一人称に「僕」を使って書き付けるものには、明確なキャラクター設定がなされた演出性の高さっていう共通点がありそう。
 実生活は別として、一人称を「僕」にする女子はあまり珍しくない。歌詞でも頻出するし、小説や詩でもけっこうある。女子が内面を吐露しようと感情的な文章を書き綴るとき、「私」というとそこにはある種の生々しさが生じてしまう。なればあえてそこに「僕」を使ってみると、何か立派にキャラ立ちしてしまうのだ。痛みも苦痛も憎しみも、「僕」にゆだねてしまえ。そうすることで逆に感傷的な気分により強く浸れるのかも。そこにはなんだか成熟に対する、女であることに対する否定的な感情がなくもないような気がしなくもない。けれどその理由はまたいつか。私はとかく10代の女子の切羽詰った感じに愛しさみたいなものを感じて、何にしても女子高生母親毒殺未遂事件ネタはもう今更なんだけども。フルで書くと凄い字面。