被虐の快楽に

「縛って + 鞭」 きっとこういうプレイを一般的にはSMと呼ぶのじゃないかしら。これについては、先日トラックバックをさせていただいたLIFEさまの所に通えば、色々と興味深いことを学べます。縛られて鞭で打たれたいという境地にまだ達したことがないので、こういう心理には興味津々。当事者だと「いや、これはもう理屈じゃなくってさ!」ということなのだと思うので、外野からウォッチするのです。
 今週のAERAがそこにあったので何となく読んでいたのですが、『現代の肖像』コーナーを読みましたか!南智子さんという、その筋ではもう神の様なポジションにいるというお姉さまです。タイトルは「言葉攻めは究極の愛撫だ」 ムチもロウソクも使わない。彼女の武器は「言葉」だ。
 これはちょっと本当に面白かった。視覚的刺激に欲望を左右されるはずの男を、言葉によるマインドコントロールで抑圧を取り去り、欲望をあらわにする。などこのあたりは私の幼稚な想像力では埋められぬ深さ。私はずっと、侮蔑を受けることが快感へとシフトチェンジするその感覚が理解できなくて、マゾヒストって一体何を求めているのかなと思っていたのです。それは痛みであったり、侮蔑であったりするんだろうけれど、それを受けることで、マゾは何を得ているんだ。自分がそういう目にあったら、屈辱のあまりキレるんじゃないかしらというレベルまでしか想像が働かず。
 そうして、なんだ、きっと羞恥って殻みたいなもので、破れてしまえば解放されるのか!っていう。自我崩壊の快楽っていう観念は、なるほどそうなんだ。