わからぬでもいいようなサドマゾ世界

mxoxnxixcxa2005-07-26

 昨日に引き続いて、未知の領域SMなんですが。兎に角、マゾのおっさんに女王候補にナンパされてからふと立ち止まり、団鬼六を読んでみた。けれどこれはおっさんがどこぞの奥さんを「うへへぇどや、奥さん、これはどや」とか何とか言って陵辱するばかりで、一向に感覚が掴めない。手篭めにされた奥さんは次第に調教されていく、みたいな。何で奥さんは侮辱=快感になっていくのか。
花と蛇 [DVD] なにかこう、S側に優越感を持ちたい欲求がありそうだなとは思うけれど。サディスティックな欲望だって、きっと何かしらの美学がある多分。マルキ・ド・サドを読んでもその辺はいまいち掴めない。杉本彩様の『花と蛇』も、なんか可笑しくて笑ってしまった。彩様は超綺麗だったけれど。マゾッホは読んでない。
 そこで思い出したのが松浦理英子だった。私はこの人が大変好きで、数少ない著書は全部読んでいることを忘れていた。この人は完全にM側。『セバスチャン』かなんかだったかしら。この中で女子2人はソフトなSとMの関係で、つまるところMに振り回されるSが描かれていた。実際のところ、行為そのものというよりは、よほど精神的なものなんだけれど、支配の構図が、一見S→Mのように見えて、その実Mの欲求を満たすためにSは利用されているだけなのかもしれませんねという図式。
 それはそうなのかもしれないな、なんて部外者の私は簡単に納得したんだった。もし私があのおっさんをイジメたとしても、おっさんは喜ぶばかり。その有り得ない様を見て、ふざけんなキモいんだよと言ったって、それすらおっさんは喜ぶんでしょ。M側にはナルシスト的なシチュエーションに酔う感覚があるんだろうか。でもだからって“痛い=悦楽”になるだろうか。女王様と奴隷の構図において、本来的な全能感をより強くもっているのって、Mなの?もしかして女王様って、下僕の掌で転がされてご奉仕している側?
 考えているとますます分からぬSMワールド。性的な加虐欲求も、突き詰めると酒鬼薔薇とかスナッフの世界かしらと思えば、そこまでいくともうなんだか病的すぎて、女王と下僕とはとことん別物。興味は尽きぬ人間て深いなあ。だからといって飛び込みたいとはまだ思えない。緊縛も「ああ倒錯してるな痛ましい」程度の感慨しかわいてこないよ困ったな。