負け犬トレンディ

負け犬の遠吠え曲がり角の彼女」なるドラマを数分見ました。なんですかこのライトなクソドラマは。私はとても悲しんでいるので、こんな悪態が勝手に出てくるのです悪気はありません。
 この流行語「負け犬」も酒井順子の本とは少しく意味合いが変わってきており、趣旨が何か違うというか、負け犬に流れる負け感が、お洒落でデキる女部分ばかりが突出してきた感があります。で、高級マンションでブランド品に囲まれてワインをコレクションしながら、時々ちょっと振り返って超ライトに焦っちゃうちょっぴり考えちゃう「アタシこれでいいのかな。だめだめファイト☆」。だから私はくさくさした気分のままに、ドラマと知りつつ小さく呟いてしまうんですkono bakaonnaとか。
 このおっされ具合を観察すれば、泥臭さと焦りがいかにも“トレンディ”な響きに取って代わられた感じです。ここはあえてトレンディ。この感覚の古さからしてトレンディです。生臭い焦りを脱してそんな響きを持つように変わってきたデキるおねいさん達が大奮闘。こういう薄いパロディは世の共感なんても、はや求めてない。
「30代・未婚・子なし」三重苦負け犬も、その中ごくごく一部のおっされでプチリッチな種族しか指さぬようになってきてつまらんというのだ。立ち食いうどん屋で働く負け犬だっている。ラブホで黙々とシーツを変え続ける負け犬だって、風俗嬢に身をやつしている負け犬だって。
 そう思えば、何も人生に疑問持って生きているのは「三重苦負け犬」ばかりじゃなく、市井の人の悩みだとか不安だとかをこのようにラベル付けして記号化する安易なテレビドラマの姿勢がそろそろ深刻に鼻につくのだ。迷いや焦りを薄めて単純化してザッツエンターテイメントとやられると、馬鹿にされている気分。
 子供生んでりゃ勝ち犬かというのは昨年散々語りつくされていましたが、高学歴の女が家庭の中に篭ってくさくさし、子供が生活の全てになっている妖怪ハハオヤなんかの中にも、自分を人生の負け犬だと思っている人も多いはず。そういう人が子供に向かって人生返せとか叫ぶんです。思うとおりにならなかった子供に向かって私の人生なんだったのかと責めるのです。たちが悪いですよ。でもそこにだって不安と焦りがあるんです。
 結局のところ人間はタイプ分けされた○○なんかじゃなく、もっとねばねばしていてどろついていて、嫉妬とか劣等感とかが渦を巻いていたりする。酒井順子の鋭いキモコワさはここあったと思う。だからこそ賛否両論あり、みなが語りたがったのだ。
 どんな人間だって負け感を持っていて、人生無いものねだりでしかない。空しいなあ。日々不安と迷いと焦りとで手一杯。生きて行くのって面倒くさいよ。この一言に尽きてしまう。パソコンは直らないしどうしていいのか分からないし私は泣くばかりです。そしてここに愚痴をぶちまけてすっきりとベッドに向かいたいのです。