折り合いがつかない

 この先じめじめしているので
 大事な人がだんだん死んで行くを眺めている。なんで癌なんていうものが存在するのだ。年齢性別関係なく襲ってくるこいつについて学びまくった。やりきれないので学術本から体験記にいたるまで、もうあほかというくらいに読み漁ってみた。何にもならない。エイズとかと違って、自らの細胞がある日変身するというこの厄介な塊について、細胞分裂から人体構造レベルまで取り込んで武装しても、一体私は何と戦えば良いのだ。各所の癌細胞の特徴を上げ連ねることができるようになっても、細胞の成長や転移を止めることが出来る訳じゃない。
 おいてかないでよって言ったらこの人は困ってしまう。安心して死んでいけなくなってしまう。なので「あ、なんか顔色良いね」とか心にもないことを口が喋る。「頑張ってね」とか虚しいことを言ったりする。「もう最終ステージなんだね」「もう死ぬんだよ。さよならだね」なんて言えない。たぶん本人が一番分かってる。
 酸素マスクをしてこーこー言いながら寝ているのを見ると、あ、死ぬな死ぬんだなと思う。ひどいよあと3年は生きててよとか言いたいけれど、しょうがないよみたいにたしなめられて、浅はかな発言を後悔するだけなんだというのは分かっている。親に言われれば聞けないようなことでも、この人が言ってくれたら素直に聞けた。いきなり癌になって死んじゃうなんてひどい。もっとそばにいて欲しかったのに。
 どうせ人間みな死ぬんだし、生きてるなんて面倒臭いことばかりでやってやられないことの方が遥かに多い。だからお別れなんて、ちっとも寂しいことじゃないと思いたい。この人は楽になれるんだと思いたい。あの世とか極楽思想なんて、人間の弱さが生んだものだと切り捨ててきたけれど、でもあの世があったら良いのにと思う。そこに行ったらこの人は、苦しいことも悲しいこともなくて、楽しいことと嬉しいことばかりに囲まれて、好きなお酒でも呑んで、みんなが待っててくれるんだと思いたい。いつか私がそこに行ったら私の場所を用意してて、また一緒にお酒が呑めるんだと思いたい。未練を遺して逝くんじゃないと思いたい。だから死ぬことは幸せなことなんだと思いたい。十分頑張ったから呼ばれているんだと思いたい。
 それでも私は自分勝手な奴なので、自分の周りの人間はみんな私より先に死なないで欲しいと思ってしまう。頭の中で、何度もこの人が死んだ後のことをシュミレーションして、本番に備えようとしてもどうしていいのか分からない。憎しみでも悲しみでも、人間の感情なんていうのは、どんなに強いものでも長続きできないようになっている。防衛本能が備わっているから。私は良くも悪くも、色んなことを忘れてしまう。この人がいなくなっても、多分私は何年も悲しみ続けないことも分かっている。だから悲しい。それが悲しい。でもこの人の死に慣れるまでの間、私はどうやって過ごすんだろう。
 フロイトが喪の仕事についてそのプロセスを段階的に示している。分かりやすく。多分その通りのことなんだろうとも思う。でもでも私は頭でっかちで、活字の知識を手当たり次第取り込んだところで一体何になるんだろう。人が死んでも絶対に泣かないようにと思っている。もう何にも考えないようにしようと思う。でもそうしていたら、私は正しく喪の仕事を行わないことになるんだろうか。
 私の考えていることなんて、どれも所詮机上の空論でしかない。でもあの人は、私を置いてきぼりにしてたぶん今月中に死んでしまうんだと思う。たとえ死に掛けてる人がいても私が今月中にやらなきゃいけないことはそのままだし、死んじゃってもやらなきゃいけない日々の諸々は変わらない。ああ。ああ。うんざりする。