はるうらら。くさくさする

 そもそもなんで20代になると、うららかな春の気配にこうも隠々滅々とした気分になるのか。はっきりいって、くさくさして鬱々としてたまらんと言うんだ。だから日記がどんどん長文化している。うざいといったらありゃしない。
 冬が嫌いでしょうがない。もう、寒いな以外のことは考えられず、口を開けば、寒いね、寒いね、以外に言葉が出てこない。しかしながら生暖かくなってくると、どうも凍結していた思考回路が解凍されだし、寒い以外のことを考え出すともうやってられんわけ。ああまた新しい一年のスタートだな、とか考えると、ああ、またも何もせぬまま何も変わらぬまま一年終えてしまったじゃん、との反省の念がむくむくと頭をもたげる。
 別に何もしてなかったわけじゃなく、それなりに忙しく頑張ってもいたのだが、でもでもこれって何の意味があんのかなとか毎日繰り返しで意味ねえなとか無為な日々だなとか人生って不毛だなとかなんで人は頑張らねばならんのかとかいつになったらがっつり掴み所のある何かを得られるんだとかいくつになったら些細なことを達観できるのかとか、ああ、早く老女になりたい。と、しょぼいフィロソファーになる。そのあたり、まだまだ青いのだろう。ああ、意味もなくまた年を取るのだな、こんな齢になるなんて予想外だった。とか思っていても、結局は未だ青き20代。日々くさくさは募る。どもならぬ。
 生きるのって思い切り面倒くせーなとか思いつつも、よーし、ここはひとつ、もう頑張って死んじゃうぞ!みたいな積極的な気分にも一行にならんわけ。そもそもなんでこうも追いまくられるようにして、たった一度の人生、ひとかどの何者かにならんければ、こうなりゃなんでもいいから自己実現せねば、と幻想に惑わされるのか。凡庸な人生万歳。ああ、早く老女になりたい。仙人になりたい。人生これでよろしいのだろうか。たぶんだめっぽい。ああくさくさする。食べるのも食べないのもうんざりする。寝るのも寝ないのも面倒くさい。起きるのも起きないのも納得できぬ。暑いのも寒いのもやだ。生きるのも死ぬのもやってられん。ああ嫌だ嫌だ。