ロバの耳

mxoxnxixcxa2012-01-19



 人の死にとても慣れたというか耐性がついたというか、すんなり受け止めるようになった。感情が大変平たくなった。死に対するハードルがたぶん、格段に低くなった。へーそっか、残念だね、でも仕方ないね。そういった感じ。顔にも口にも出さないけれど。
 親さえ見送って子の義務を果たしたら、後はどうしようもなくなったら徹底的に身辺整理をして、こっそりひっそり死ねばいいんだしって思うようになった。人が一人死ぬことなんて、なんてことない。それが自分だって同じことだ。だから、ある意味とても気楽。だと思いこもうと思ってる。
 なのであらゆる執着から自由になろうと立ち上がり、思い切った断捨離を決行しているんだった。気軽に身軽にお気楽に生きてゆこうぜ迷ったものは捨てて良しってことよね、一瞬でも要らんと思うから迷うんだもの。なんてがんがん捨てるつもりが結局、あ、これまだ着たい。えーこのCD大好きだった、なんて物欲まみれ。本も画集も写真集も一冊も捨てられぬまま。それどころかあろうことに、あーあの写真集欲しいなあ買っちゃおっか、なんて煩悩まみれ。何だ結局、本質は変われないみたいだ。
「さあ」と思ったら、2週間で家を空っぽに出来るくらいまで片付けた人生を送りたい。その「さあ」が、自決でも海外移住でも何でもいい。テレビも古いノートパソコンも捨てた。服やバッグや靴やコートもだいぶ捨てた。はず。はずなのに、見た目が大して変わらないんだぜ収納名人の部屋ってな。独居で3部屋あれば、そりゃモノが多くもなるわ。玄関、いまだ靴の山。靴好きの玄関。コートがショートからトレンチミディアム、ダウン全部合わせてまだ8着…か…。全部好き。いる。着る。でも結局いつも選ぶブーツも靴もコートも、だいたい決まってる。半分の数で十分やってける。