原民喜 悲歌
濠端の柳にはや緑さしぐみ
雨靄につつまれて頬笑む空の下
水ははつきりと たたずまひ
私のなかに悲歌をもとめる
すべての別離がさりげなく とりかはされ
すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ
祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに
私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに 永遠のかなたに
悲歌 / 原民喜
なんて穏やかで悲しげで、安らかな絶望だろう。
原民喜といえば、国語の教科書にかなりの高確率で載っている、『水ヲ下サイ』の人というイメージが強い。だから何というではなく思い込みで、この人は道徳的というか、反戦の思想に引用されやすい人というイメージしかなかった。けれど、けれどこれは、ぐっときた。ぐー…ん、てなんか胸にきた。
この詩を作って、少しして、原は鉄道に飛び込んだ。
もうこれしかないのだ、という処まで選びぬかれた言葉は、他のどんな言葉にも置き代えがたい、強力な威力を持つ。詩ってそういうものなんだろう。最後の2行の遺す余韻は、どうしようもない悲しさと穏やかな遣る瀬無さがある。
ぼんやりと覚えていることで、高校の頃たいして好きでもなかった国語の先生が授業である詩を取り上げ、「悲しさ」と「悲しみ」という言葉がいかほど違うか、日本語のもつ繊細なニュアンスの差について力説していたことを思い出す。
あの現国の授業の、「悲しさ」ではなく「悲しみ」を使った詩、あれは誰の、なんという詩だっただろう。こんなに記憶が曖昧で儚くて頼りないと分かっていたら、もっとずっとちゃんと、覚えていたのに。
やたら髭が濃くて色白で、いつも青髭だったあの現国先生の名前も、先生の特に好きだったあの詩も全く思い出せない。
- 作者: 原民喜
- 出版社/メーカー: 土曜美術社出版販売
- 発売日: 2009/08
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