ぼんやり文法書を眺め

 寂しいっていう感覚がなくなったというか孤独を諦めたというか、兎にも角にも「さびしいな…」というしみじみとしみ込んできて、体を内側からじんわりとどうにかしてしまうあの感じを忘れてしまったことは、私にとってとても良いことだったろう。
 一つの局面をどうにかこうにかこなした今、さてこの先の人生如何いたそうかと、ぼんやりと考えているんである。
 欧州旅行中、これほどの時間を日本人にも日本語にも触れずに暮らすことのお気楽さを知ってしまい、ものすごくベタな展開で、もうもう全部かなぐり捨てて脱日常、脱日本、脱過去、脱自分なんかに憧れて焦がれてしまう。何処かへ行って、そうしてそのままもう帰ってきたくないのだ人生に。なんというベタな流れかという半面、ベタはベタになるだけの理由があるすなわち万人に共通した何かを持っているのがベタなんだ!などどうでもいいことを指がつらつらとキーボードを叩いている。
 昨年など、かなり本気で海外移住を検討してみた結果、私の暮らしたいお国は就労ビザを取得するのが大変厳しい条件となっており、現地の日本人向け求人は「要就労ビザ」。しかし就労ビザ申請には勤め先が必須というループ。これは明らかに、夢から覚めろという啓示だと思う。
 現地語学もろくすっぽ出来ぬ身では、夢のまた夢であるという当たり前の現実を知った次第。しかし語学留学などふわふわした遊学に逃げ込んでいる齢でもないのだ。
 さて特段これといって武器になる職歴も経歴もない良いお年の女盛り、どうやって自分を養って行こうか考え出すとお先真っ暗になるので、ぼんじゅーるごっこで逃避しているそんな何もない毎日。る、ら、れ。あん、ゆんぬ、でぃ。
 制作はもうやめようと思って、やっとの思いでのりこえたらレセプションなどで面白い出会いもあり、数学者に「いや、課題も見えたしこれからだね」なんて言われる。「才能ないね、もうやめてもいいんだよ」って言って誰か背中を押して欲しい。自分だけではやめきれない。今ちょっと休んでいるだけなんて思ってしまう。でももう疲れたし、たぶんもう描きたいものなんて何も残ってないんだ。どうせいちまいもうれないし、わたしのことなんてだれもきにしてないしあいしてなんてくれない。もうでていきたいのこんなじんせいすてたいのこんなせいかつすててしま
 「しょうもなもにか」が現れて、ふとした隙をついて泣き言ばかり呟くのが鬱陶しい。甘えてんなよじんせいはきびしーんだよ!あまえるんじゃないわ