中学生の少女たち

mxoxnxixcxa2010-07-26

 もうすでに結構前のニュースになってしまった感があるんだけれど、宝塚市の中3少女2名の放火・殺人未遂事件。
 とても悲しいニュースだった。空しいとも、恐ろしいとも、馬鹿馬鹿しいともちょっと違う、なんだかとても悲しくてやるせない事件だった。
 大体が、二十歳を超え25を超えたあたりから、如実に自分の中の体内時計の具合が変わってきたことに気づく。10代の頃とは明らかに体感する時間の経過が早すぎるのだ。15歳中3。1年後のことなんて想像もできなかったように思う。未来を左右する高校受験を控え、何も見えないのに、大体が自分の立ち位置だってろくにわからないのに、将来を少しだけ決定する岐路に立たされる。実際のところ中学の頃は1年の重さが今とは全く違って、たった1年で全く違う人種のように感じた。それくらいに、今そこにいる状況がすべてだった。

 私も中2くらいの頃、友人と2人で母親をどうしたら始末できるか考えた。引き出しの中やゴミ箱まできっちりチェックされて、適切でないと判断されたものが黙って処分されているのを発見したりすると、ドス黒いなにかがこみ上げたなあって思い出す。厳しくてうるさくて怖くて、どうしようもなくうざかった。自由になる方法が思いつかなかったし、大人になれば好きにできると考えるには、大人になるまでは果てしなく先のことすぎて、自由になって楽になるには、この人に消えてもらうしかない、ということくらいしか思いつかなかったように思う。
 それで何度となく相談しても、自分の自由を奪われずに自由になる方法つまりは完全犯罪なんて思いもつかず、自転車のブレーキを切っとけば勝手に事故にあうかもとか、その程度のことを話しては、そういえば母は自転車になんて乗らないと気付いてうんざりしていた。殺してしまえば手に入れたいはずの自由が逆になくなってしまう。私たちがあの頃空想で親を始末して笑い合うにとどまったのは、結局は自分がかわいかったからだろう。

「家を出れば良かったのに」。と思うのは、世界が広くなった人間だから思いつくことで、狭い世界の中にしかいない世代の人間には、家を出るという選択も、外に世界があるという発想もなかなかない。あの年代の私は、あと3,4年我慢さえすれば、どうにでも好きに生きられるんだよ、あと本当に数年の辛抱なんだから黙って力をためておきなよ、たった数年なんだよ、なんて言われても、先のことすぎて何のリアリティも受け取らなかっただろう。1年が果てしなく長くて重い。そんな先のことなんて知ったことではないし、今で手いっぱいなのだ。

 それでも思うのだ。宝塚のあの少女たちに、少しでも鬱屈した出口のない状況に耳を傾ける大人の女がいたら良かったのに。私にもそういう大人の女がいて欲しかった。でも居たとしてもまあたぶん、うざいなあ、で片づけたかもしれないんだけれど、それでも誰か、振り向いて耳を傾ける誰かがあの少女たちにいれば良かったのに。それがとても悲しい。何も見えなくても、この先にだってちゃんと人生ってある。難しいだろうが目を閉じて時間が経つのを待ってみなよ、1年や2年は永遠じゃない。なんでもいいけど、何か言ってあげたかった。
 あの少女たちが、ほんの少しでも自分の未来に対して何かしらの期待を抱けていたなら、こんなことは起こらなかった。それがとても悲しくて痛ましい。確かに大人になることは、たいして良いことでもないし別に楽しみでもなければ喜ばしいことでもない。思った通りには生きられないし、自分の生活や人生のリスクを自分で背負うことは軽々しいことでもないけれど、家族や家庭や親という、小さなコミュニティのどうしようもない何かから自由になる選択肢を得られる。
 それがどれだけ大きなことか。